劣等スパイラル

客観力

 本日のテーマは「劣等スパイラル」というお話です。

 全ての人間が持ち合わせている感情の1つとなる劣等感。この感情を上手く用いれば、自分を高みへ連れていく強大な武器となります。しかし使用法を間違えれば、自己否定の信念を強化して悲観的な人間へと自己変革してしまう諸刃の剣です。

 そしてマイナス方面に1度足を踏み込めば、劣等スパイラルという悪循環にハマります。雪だるまが転がり大きくなるように、あなたの劣等感も大きな固まりへと形成されてしまうのです。この罠にハマらないようにするため、劣等感について勉強をしていきましょう。

 ここからは劣等スパイラルで循環する3要素について紹介していきます。

劣等感

 劣等スパイラル1要素目は「劣等感」です。

 劣等感とは、自分の理想に到達できていない自分に負い目を感じてしまう感情のこと。

 これだけ聞けば、マイナスの感情にしか聞こえません。しかし、全ての感情には存在する理由があります。この劣等感という感情を持ち合わせているからこそ、自己実現欲求という自己実現への火種が生まれるのです。

 ただ日本の学校教育の弊害なのか、「好奇心」ではなく「従順と我慢」を教えます。すると自己実現欲求は萎んでいき、心にはあるのだけれど、本人が気づかない程までに奥底で燻ってしまう。まさに劣等感のマイナス面だけを背負ってしまった人間ばかりになる。だからこそ日本人は、これだけ恵まれている環境で生活しながらも、主観的幸福感が低いのでしょう。

劣等言い訳

 劣等スパイラル2要素目は「劣等言い訳」です。

 劣等言い訳とは、劣等感を行動しない言い訳として使って自己肯定しようとしている状態のこと。

 例えば、顔が悪いからモテないという理由で、恋愛を放棄した人間がいたとします。しかし、行動しない言い訳をしても良いことはありません。言い訳は、一過性の自己肯定の快楽を感じるだけで、反動で自己嫌悪が後に倍となって襲ってきます。

 もし仮に顔が悪いことをバネに、自分だけの長所に注力すれば魅力溢れる人間になることでしょう。起業して高収入を手にしたり、コミュニケーションの達人になれるかもしれません。またどうしても見た目という対象を解決したいなら、美容整形という手段もアリでしょう。それも立派な努力の形です。これが健全な劣等感の使い方。

 しかし劣等言い訳の人は、恋愛を放棄して、人間に対しての嫌悪感を強く抱きながらバーチャルの世界に籠もってしまう。ここでは恋愛を例えに出しましたが、別の事象で同じ状態に陥っている人は無数に存在します。

劣等隠し

 劣等スパイラル3要素目は「劣等隠し」です。

 劣等隠しとは、劣等感を隠すために自分がすごい人間であるように演じること。

 劣等言い訳で、自己否定の信念を言い訳という自己肯定で帳尻合わせしてきましたが、遂に我慢ができなくなってしまった状態。我慢が爆発した人は、劣等感を隠すために「自分はすごい人間だと振る舞う」ことに努力を傾けるようになる。具体的アクションとしては2つの鎧を纏います。その鎧とは「権威」と「自慢」です。

 劣等隠しの鎧1つ目は「権威」です。権威の鎧を求める人は、自分と権威を結びつけることに全てを捧げて取り組みます。例えば、ブランド品で身を固めたり、所属先の権威を見せびらかすなど。周りから見られる肩書きで、自分を武装して見栄に生きるのです。

 劣等隠しの鎧2つ目は「自慢」です。自慢ばかりする人は劣等感の固まりでしょう。マジョリティの価値観を参考に、自分が持ち合わせている称賛の要素を誇張してアピールする。そして影に隠れた劣等感を隠すのです。まさに「弱い犬ほど、よく吠える」と同義です。

 しかし、本当に優れた人は自慢をしません。なぜなら自慢すると「他人からの学びを失う」ことを知っているから。自慢という手段は、瞬間的な劣等感の傷薬にはなっても、傷が出来ない仕組みづくりには決してならないことを認知しているのです。

 そして最後に余談ですが、自慢がエスカレートした人は「不幸自慢」を始めます。この心理を深堀りすると「弱さは力」という事象に繋がります。弱さとは、相手を心配させて言動を束縛する力を持つもの。例えば、赤ちゃんは弱さゆえに誰からも支配されず、大人たちを支配しています。この状況を本能的に作り出そうとしているということ。

 最後に劣等隠しをまとめると、短期的には周りに称賛されても、長期的には本質を気づかれます。そして認められない事実が劣等感を肥大化していく。結果的に、息継ぎをする場所を探すように劣等スパイラルを加速していくのです。

最後に

 本日は「劣等スパイラル」のお話、いかがでしたか?

 人間は、慢性的に劣等感を我慢できません。劣等感を抱いた人が辿る道は2つです。1つ目は「自己実現に向かう」こと。2つ目は「劣等感スパイラルに踏み込む」こと。

 1つ目の道を選べば、自分が出来ることがどんどん増えて、楽しい毎日を過ごすことができる。2つ目の道を選べば、大海原の遭難での息継ぎのように、承認欲求に生きることになる。あなたはどちらの劣等感解消への道を選択しますか?

 本日はご精読ありがとうございました。

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