「悩むと考える」の違い

思考力

 本日のテーマは「悩むと考えるの違い」についてのお話です。

 「悩む」ことも「考える」ことも、頭の中である事柄に対して知識を巡らしていることは全く同じです。総括した言葉にまとめると「思考」と表せるでしょうか。この似た色をした2つの思考プロセスですが、深く追求していくと全く違う色をしています。

 そして最終目的地としては、悩むことを0にして、考えることを楽しめる地点を目指して欲しいなと思います。そのために、悩むと考えるの違いについて吟味していきましょう。

表面思考

 まず悩むことは「表面思考」に陥っている状態です。

 表面思考とは、ある事柄に対しての本質に近づけず、ただ表面だけを撫でながら知識を巡らしている状態のこと。表面を撫でているだけですから、いつまで経っても答えに辿り着くことが出来ません。そして有限である貴重な時間と労力を使い、その先には徒労感だけが募るのです。

 そして答えが出ない失敗経験ばかり重ねていると、遂には思考すること自体を放棄してしまう人間となってしまう。表面思考よりも、さらに低いレベルの思考となる「浅い思考」へと能力が衰えてしまいます。結果的に権威や大多数の意見を無条件に信じる、安直な思考へと繋がってしまうのです。

深い思考

 次に考えることは「深い思考」をしている状態です。

 深い思考とは、ある事柄に対しての本質に近づくため、表面を掘るために知識を巡らしている状態のこと。掘っているので、どんどんと事柄の中身や真相を体験することが可能となります。そして少しずつ、自分の頭で考えられる人間へとグレードアップしていくのです。ここで考えるために必要なポイントは2つ紹介します。それは「答えを出す意識」と「書くこと」です。

①答えを出す意識

 考えるために必要なポイント1つ目は「答えを出す意識」です。

 誰もが答えを出す意識を持っていると勘違いしていますが、本当に答えを出す意識があるのなら失敗から学ぼうとします。今の考えでは失敗するという認識を持ち、情報収集してまた検証の繰り返しを行う。同じ失敗をただ繰り返しているということは、答えを出すための手間を背負いたくない。つまり本当は答えを出す意識がないのと同義なのです。

②書くこと

 考えるために必要なポイント2つ目は「書くこと」です。

 基本的に大多数の人は、書くことをしなければ表面を掘ることはできません。なぜなら掘るという作業は、抽象的な感覚を具体的な知識として捉えることや、様々な知識を同時に頭の中に広げて加味することが必要になるからです。実際に言葉にして書き出すというアウトプットを放棄すれば、抽象的な感覚止まりでしょう。そして様々な知識を忘れずに広げることも出来ません。

 これらの2つのポイントを厳守するからこそ、悩むことを卒業して考えることが出来るようになるわけですね。

10分での答え

 最後に、悩むと考えるのモノサシ「10分での答え」を紹介します。

 1度も答えを出す意識を持った経験がない人には、自分が本当にその意識が持てているのかが分かりません。また書くというアクションを取っていたとしても、悩み続けて表面思考に陥っている人だっています。そうなれば自分が「悩んでいるのか、考えているのか」の自己洞察が出来なくなってしまうわけですね。

 そんな状態から打破するために「10分での答え」で測ってみてください。ある事柄に対して知識を巡らせることを始めたのなら、10分以内に何かしらの答えが出るはずです。もし答えが出ないのであれば、それは悩んでいます。

 とは言っても10分で答えが出せたら、みんな苦労しないよと感じるかもしれません。ここでいう答えとは、最終的な本質の答えではありません。「途中の解」や「小さな解」が得られるという意味です。難しい事柄であればあるほど、1度のステップで本質的な答えには辿り着けません。小さな答えを重ねながら、巨大な答えに少しずつ近づいていくものなのです。

 もし知識を巡らせて10分間経過したとして、前進している感覚が0であるなら、自分は悩んでいるのだと正しく客観視しましょう。

最後に

 本日は「悩むと考えるの違い」のお話、いかがでしたか?

 ただ本日の情報量だけだと、抽象的な大枠は理解できても、具体的に考えることへ移行することって難しいですよね。次回の記事では、考えるという行動を正しく行うために「10分での答えが出ない原因と対処法」についてご紹介していこうと思います。

 本日はご精読ありがとうございました。

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