狭い視野のメリット

客観力

 本日のテーマは「狭い視野のメリット」のお話です。

 まずは、おさらいを軽く述べさせてください。前々回の記事で「視野」を「身長」に例えてご紹介しました。身長が低ければ目先の壁しか見えませんが、身長が伸びれば壁を超えた向こう側の土地を見ることができます。それと同じで視野が狭ければ瞬間的な欲求という壁で頭がいっぱいになりますが、視野を広げれば欲求の壁を乗り越えた未来が見通せるようになるのです。

 そして前回の記事で「広い視野のメリット」をご紹介させて頂いたので、本記事からは最終章となる「狭い視野のメリット」についてです。広い視野が絶対的に正しく、メリットばかりと言うわけでもありません。この世はトレードオフであり、何かを得れば何かを失う世界です。広い視野には得られない、狭い視野ならではのメリットも存在するのです。

 では狭い視野のメリットを3つ紹介していきます。それは「流行・常識に順応」・「帰属団体単位の視点」・「共感者が多い」という要素です。

流行・常識の順応

 狭い視野のメリット1つ目は「流行・常識の順応」です。

 視野が狭いと、現在のミクロな状況に気づきやすくなります。これは身長が低いと、足元が見えやすいことと同じですね。

 具体的には現在の流行に敏感になり、細かい変化に意識なしで気づくことが可能となります。また現在に近い世界が彼らの普通なので、そこで述べられている常識を絶対的なものだと認識して遂行します。つまり「自分なりの善悪」・「生きる道筋」など、あまり深く物事を考えずに生きられるのです。平和な時代・国に生まれれば、とても生きやすい世界なのかもしれません。

帰属団体単位の視点

 狭い視野のメリット2つ目は「帰属団体単位の視点」です。

 視野が狭いと、現在自分が所属している帰属団体の考えが全てだと認識します。この要因はメリットにもデメリットにもなるものです。自分で人生の価値観を描きたい人であればデメリットになりますが、他人が提示してくれた人生の価値観に従いたい人ならメリットに転じます。

 なぜなら帰属団体が生きる意味を考えてくれるのですから、自分の頭を使う必要がありません。平和な時代が前提で、考えることが嫌いな人は従っているだけで承認欲求が満たせられる。適度な不自由さは、実は幸せなのかもしれません。

 幸せな人は「無知」と「天才」で、中途半端な「秀才」は苦痛を味わうと言います。天才は自分で世界を描けるので自由があり、無知は現在の世界が絶対的な真実と認識してるので積極的に迎合できる。中途半端な秀才は、これが世界の全てではないと分かっているけど、承認欲求という目先の壁を乗り越える程は視野が広がっていない。結果的に迎合するしか選択肢がなく、苦しみを伴うのです。

共感者が多い

 狭い視野のメリット3つ目は「共感者が多い」ことです。

 視野が狭い人が、この世界のマジョリティです。これは善悪でも正否でもなく客観的事実。つまり視野を広げないことにより、共感者が多くいる世界で生きることに繋がるのです。

 身長が低い人が大多数で、1人だけ巨人になってしまえばどうなるでしょうか?隣の人と手を繋ぐことが困難となり、低い窮屈な姿勢をとらなければいけない。その場だけ手を繋ぐことは出来るかもしれませんが、姿勢維持には苦痛を伴います。このようにして、手を繋ぐことに喜びを感じられなくなる。

 本当の意味で視野が広い人は「承認欲求」ではなく「自己実現欲求」や「他者貢献欲求」へ向かうことが出来ますが、中途半端な視野・身長の時期は苦しみが多いのかもしれませんね。

最後に

 本日は「狭い視野のメリット」のお話、いかがでしたか?

 視野を広げることが絶対的な正解ではないことも事実ですが、やはり私は視野をこれからも広げていきたいと思っています。なぜなら帰属団体のマジョリティと手を繋ぐ喜びより、未来という土地を見る喜びの方がワクワクするから。圧倒的に突出して身長を伸ばせられれば、過去から未来の人類全体とイメージの中で手を繋ぐことも可能です。1度自問自答して、自分はどちらの道に進みたいかを精査してみてはいかがでしょう。

 本日はご精読ありがとうございました。

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