お金という虚構

お金

 本日のテーマは「お金という虚構」のお話です。

 多くの人が絶対的なモノだと信じている「お金」というツール。それが「虚構」とは一体どういうことなのでしょうか?本記事では、この題材を深堀りしていきます。

額面上の価値

 まず結論から述べると、お金は「額面上の価値」に過ぎません。「実質的な価値」を持たないモノであり、あくまで人が作り出したフィクションの物語なのです。

 実質的な価値とは、実際そこに価値があるもの。例えば「リンゴ」であれば、美味しくて甘酸っぱいという実質的な価値があります。「白い紙」であれば、文字が書けるという実質的な価値があるでしょう。

 それに対して額面上の価値は、実際は虚無である、人が与えた数字上の価値のこと。深く吟味すれば、お金が実質的な価値がないことに気づくでしょう。もし額面上の価値という役割を取っ払ってしまえば、他にどのような使いみちがあるでしょうか?この事実が、お金は虚構という証明になります。

お金の役割

 次に「お金の役割」のお話です。

 わざわざ額面上の価値というフィクションを生み出したのですから、そこには明確な理由が存在します。その理由は「ダンバー数・150人」以上の人数で、人類が協力し合うため。多くの人が特定の嘘を信じることによって、生態としては不可能な数で協力できるようになったのです。

 好きな漫画や趣味が一緒だと、他の性格要素が食い違っていても楽しいコミュニケーションを可能とします。お金もそれらと同じ役割を担っていて、人類は多勢の力を獲得して食物連鎖の頂点に君臨したのです。その要因がここまでの文明発達に欠かせないことは、誰の目から見ても明らかでしょう。

お金の具体的役割

 ではここから視点を少し変えて、ミクロとなる「お金の具体的役割」も見ていこうと思います。

①交換手段

 お金の具体的役割1つ目は「交換手段」です。

 人類は、それぞれが持つ価値を交換することにより助け合いながら生存しています。しかしここで1つ問題が生じます。それは考え方や状況によって、欲している実質的な価値が食い違ってしまうこと。例えば、Aさんが牛乳を所有していて、それをBさんが欲しいと思っていたとします。しかしBさんは、Aさんが欲しがっている実質的な価値をピンポイントで持っていません。そうなれば牛乳を受け取ることは出来ませんよね。

 バラバラの実質的な価値を描く人々が協力し合って、物々交換をすることには限界が生じます。それを可能としたのが「お金という虚構」なのです。

②貯蓄

 お金の具体的役割2つ目は「貯蓄」です。

 実質的な価値を自己所有していたとしても、万物流転という事実は変わりません。この世に存在する全てのモノは移り変わり、価値の劣化を起こします。牛乳であれば腐ってしまいますし、建物も紫外線により色褪せやヒビ割れを起こすでしょう。すると「所有している価値」を失う未来は決定的なモノです。

 この状況を打破するために、お金が作られました。時が経過しても、額面上の価値として維持できる。そして貯蓄という行動を可能としたのです。

③モノサシ

 お金の具体的役割3つ目は「モノサシ」です。

 実質的な価値とは人によって異なるものであり、何に魅力を感じるかはそれぞれの主観という物語が決定します。このバラバラの感覚のままであれば、お金の信奉者であっても交換手段の役割を正しく果たせません。

 そこでお金に数字という額面上の価値を与え、一定の基準で計測するためのモノサシ機能も付与したのです。これにより正確な共通感覚の価値を手にした人類は、文明発達へとその後進んでいきます。

最後に

 本日は「お金という虚構」のお話、いかがでしたか?

 私たちの日常生活で、1番身近にあると言っても過言ではないお金というツール。この資本主義社会では、生きるために働かなければいけません。しかし、あくまでお金とは資本主義という思想の神様の立ち位置。

 そのツールを追い求めることも大切ですが、本来の目的は「豊かな生活」のはず。枝葉のお金だけに執着せず、根幹の豊かな生活を犠牲にしすぎないように吟味する必要があるのかもしれません。

 本日はご精読ありがとうございました。

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