お金の歴史

お金

 本日のテーマは「お金の歴史」についてのお話です。

 現代社会の実生活で、みんなが当たり前のように使用する「紙幣」というお金。しかし、お金の黎明期から紙幣だった訳ではありません。時代により姿・形を変えていき、現在の紙幣という形状へと変化していったのです。

 本記事ではお金の歴史を紐解いていきます。流れとしては、大きく4段階に分かれ「大麦」・「金銀」・「青銅」・「紙幣」の順です。最後には、お金の歴史から学べる「抽象的なポイント」についてもお話します。

大麦

 お金の歴史1段階目は「大麦」です。

 遡ること約5500年前「古代メソポタミア文明・シュメール」という都市で、お金の起源「大麦」は誕生します。シュメールは、現在のイラク南部にあった都市で「チグリス川」と「ユーフラテス川」の間に栄えた街でした。シュメールの後の時代に「アッカド」・「バビロニア」・「アッシリア」と興亡を繰り返すことになるのですが、これらの都市が栄えた時期よりも昔の物語と考えると感慨深いものがありますね。

 シュメールの人々が選択した「大麦」ですが、問題点が2つありました。それは「気候の影響」と「腐敗」です。大麦が元気に育つには、それに適した気候が必要不可欠です。また時間が経過して、腐ってしまうこともあったでしょう。これらの影響から常時手元にあったわけではなく、価値の交換手段・貯蓄・モノサシとしては不完全な点も多かったのです。

金銀

 お金の歴史2段階目は「金銀」です。

 次のお金は「金銀」でした。大麦の問題点となる「気候の影響」や「腐敗」を補うために、金や銀という鉱物が代替品として使用されるようになったのです。

 ただ金銀にも問題点は存在します。それは「発掘量が有限」であるということ。量に限度があれば、文明発達や経済成長という目的を達成するには大きな足枷となってしまう。もちろん、今あるお金が消失するという大麦の課題はクリア出来たのです。しかし、まだまだ乗り越えなければいけない壁は聳え立っています。

青銅

 お金の歴史3段階目は「青銅」です。

 3つ目として選択されたものは「青銅」です。金銀の「発掘量が有限」という問題回避のために、それらより多くの発掘量があるブロンズがチョイスされたのです。

 青銅がお金として使用されたのは「中国・春秋時代」と言われています。中国・春秋時代は、紀元前8世紀~紀元前5世紀までの期間の時代のこと。現在から遡ること、約2800年前ということですね。

貨幣

 お金の歴史4段階目は「紙幣」です。

 遂に現在のお金「紙幣」へと人類は到達します。

 紙幣の誕生は「中国・宋王朝」の時代です。宋王朝は、10~13世紀の中国を統治していた王朝の名です。この時代、つまり約1000年前に紙幣が誕生したということですね。紙なので青銅よりも容易く量産することができ、現在のオーソドックスへと落ち着いていきます。

 また紙幣には2種類のモノが存在します。それは「兌換紙幣」と「不換紙幣」です。これらを今すぐ解説したい気持ちで胸が一杯なのですが、物凄い情報量となってしまいます。そのことから次回記事で深堀りしていく予定です。楽しみにして頂けると嬉しく思います。

最後に

 本日は「お金の歴史」についてのお話、いかがでしたか?

 お金が現在の形状にまで変化した歴史を知ることが、直接的に自己成長に繋がるわけではありません。ただ人類が「お金というアイデア」を生み出してからの「行動力」や「フットワークの軽さ」を学ぶことは出来るでしょう。

 大麦採用前に「いつでも手元にあるわけではないから」、金銀採用前に「発掘量に限度があるから」と網羅思考になっていたら、どうなっていたでしょうか?網羅思考では行動力が伴わないので、テンポよく文明発達を果たすことは出来なかったでしょう。

 やはり大切なのは行動力です。アイデアを思いついたら、失敗するかもしれないけど行動してみる。問題や課題があったら、仮説を作成して行動してみる。このようにお金の歴史を通じて、行動力の重要度を再認識していきましょう。

 本日はご精読ありがとうございました。

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