本日のテーマは「3つの知性②・自己主導型知性」のお話です。
前記事から「なぜ人と組織は変われないのか」という書籍で語られている「知性」についてお話させて頂いています。この書籍で定義されている知性とは、一般的な意味としては俯瞰・客観力のことです。どれだけその人が視野を広げて、物事を見れているかを表しています。
では本題となる2つ目の知性「自己主導型知性」について紐解いていきましょう。
自分自身の価値観形成
自己主導型知性とは、自分自身の価値観を自ら描ける人のこと。
彼らは自分の頭で考え深く思考した先に、自分自身の価値基準を確率していきます。そして自分が描いた思想に則り、目の前の行動を選択するようになるのです。
前回ご紹介した環境順応型知性の人は、集団の価値観を客観視できておらず絶対的なモノだと信じていました。しかし自己主導型知性にグレードアップしたことにより、それが1つの正義だと俯瞰できるようになるのです。
合理性と自由
では自己主導型知性の人が、価値観創造する際の基準とは何なのでしょうか?
それは「合理性と自由」です。
①情報選別フィルター
まずは「合理性」についてのお話。
この知性の人は、目的達成に対して合理的か否かという「情報選別フィルター」を持っています。つまり与えられた情報を鵜呑みにするのではなく、情報を篩にかけて選択します。そして選んだ情報を材料として、価値観を作っていくのです。
どんな時代や国でも巨大な集団の思想は、「1個人」より「集団」や「独裁者」が合理的になる道を選択します。なぜならこの世はトレードオフの世界であり、集団メンバー全員を合理的な道に進ませることはできないから。承認という思想的エサをまいて、自己犠牲的な他者貢献を促している場合もあるのです。
このように述べると利己的に見えるかもしれませんが、本当の他者貢献とは自分を満たした先にあるモノだと私は思います。だからこそ自己主導型知性の状態へと視野を広げ、合理性を手にするための情報選別フィルターが必要不可欠なのです。
②ドライブの比喩
次に「自由」です。
環境順応型知性と自己主導型知性の自由度は、車のドライブに比喩することができます。
まず環境順応型知性の人ですが、彼らは助手席の人です。自分自身で行き先を選択することも、車を運転することも出来ません。
それに対して自己主導型知性の人は、運転席の人に比喩できるでしょう。自分が運転しているので、心の思うがままに車を進めることができますよね。このドライブの違いのように、視野を広げることにより、人生の道のりを自由に選択できるようになるのです。
③それでも周囲の目が気になる人
ですがここで1つ疑問が浮かびます。
その疑問とは「それでも周囲の目が気になる人」がいるということ。この理論を見聞きして理解しているのに、それでも周囲の目が気になる。この心理は一体どこから来るのでしょうか?
その心理は「転換期」にいることが理由です。ちょうど環境順応型知性から自己主導型知性に切り替わる時期にいるという証であり、この転換期が1番苦しい段階でしょう。ですが知性のレベルをもう1歩向上させれば、周囲の目は一切気にならなくなります。つまり自由で生きやすい世界が、あと少しの所で待っているのです。ですが悲しいかな多くの方は、この転換期で長期間滞在して一生を終える人も多いでしょう。
固定観念存在が客観視NG
良いことばかりを取り上げてきた自己主導型知性ですが、彼らにも客観視できていないものが存在します。だからこそ3つの知性の2段階目なのですね。では一体、何が見えていないのでしょうか?
その正体は「固定観念の存在」が客観視できていません。価値観といっても、1つ大きな固まりがあるわけではありませんよね。色々な角度から物事を見ることがあったり、いくつかの考え方が複雑に絡み合って出来ています。そしてこの複雑に絡み合った価値観の、全てを客観視できていない状態が人間でしょう。つまり誰しもまだ知らない自分の価値観があり、それを見えるようにすることが成長です。
ですが自己主導型知性の人は、自分の価値観は絶対的に正しいと信じています。自分は自分について全て知っていると勘違いしているのです。ここから脱却できなければ、どんどん頑固者へとなっていくことでしょう。
最後に
本日は「3つの知性②・自己主導型知性」のお話、いかがでしたか?
進みたい目的が明確にあって、そこへの解決方法も情報収集して知っている。なのにいつまで経っても目的達成できない。その理由はあなたが気づけていない固定観念です。次章の記事では、これらをも客観視した最後の知性をご紹介していきます。楽しみにして頂けると嬉しいです。
本日はご精読ありがとうございました。
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