本日のテーマは「太陰暦と太陽暦」のお話です。
私たちが日々の生活で、当たり前のように使用している暦。しかしこのアイテムも人類の発明品であり、私たちが長期的な時間を管理することを可能にした大発明です。
本章では、そんな暦について雑学コーナーとしてご紹介していきます。またアイデアを生み出すために、様々な物事にアンテナを張る習慣の一助になれば嬉しいなとも思っています。記事の流れとしては3部構成で「2つの暦」・「太陰暦の歴史」・「太陽暦の歴史」の順でいきましょう。
2つの暦
太陰暦と太陽暦1部目は「2つの暦」の詳細です。
まず人間が発明した暦は、大きく2つに分かれます。それが本記事のタイトルにもなっている「太陰暦」と「太陽暦」です。ではそれぞれ具体的な詳細を覗いていきましょう。
①太陰暦
1つめの暦は「太陰暦」です。
太陰暦とは、月の満ち欠けの周期をもとにした暦のこと。
月は「満月→下弦→有明月→新月→三日月→上弦→満月」と、満ち欠けサイクルが「29,5日」で動いています。そして太陰暦ではこの期間を1ヶ月と定義していくのです。29,5日という期間から、私たちが使用している太陽暦よりも少し短いですよね。また1年に換算したときも「354日」と短めになります。
②太陽暦
2つ目の暦は「太陽暦」です。
太陽暦とは、地球が太陽の周りを回る周期をもとにした暦のこと。
春夏秋冬という季節は、太陽と地球の位置関係によって決まります。地球が太陽を一周するスピードは「365,24日」になり、この期間を1年間として定義しました。それを12ヶ月分に分割したものが、太陽暦と言うことですね。
では次の項から、暦が発明されて改良を加えられていった成り立ちをザッと覗いていきましょう。
太陰暦の歴史
太陰暦と太陽暦2部目は「太陰暦の歴史」です。
①バビロニアの僧侶と月
太陰暦の起源ですが、紀元前1900年代・古代バビロニア帝国で生まれました。
バビロニアの僧侶たちは、寺院の屋上にて毎晩のように月を観測することが日課だったそうです。するとある規則性に気づきます。その規則性とは、月の満ち欠けに一定の周期があること。この発見により、月の満ち欠けという1要素が、暦というアイデアの一端を担うことになったのでした。
少し暦の話と逸れてしまいますが、この事象からこの世の全ての物事にアンテナを張って観察することが、アイデア創出には重要だなと私は感じました。では話を戻していきましょう。
②四季とのズレ
しかし太陰暦にはマイナス面が…。
それは「四季とのズレ」が生じてしまうということ。春夏秋冬という季節は、太陽と地球の位置関係によって決まります。つまり月の満ち欠けだけでは、正確な暦を把握することが出来なかったということですね。
具体的なズレの数字として「1年で11日短く」、「3年で1ヶ月短く」なります。つまり10年経てば3ヶ月のズレが生じてしまう。そうなれば同じ月が、今年と10年後では全く違う季節になってしまうことでしょう。
③太陰太陽暦の誕生
そこで調整のために「太陰太陽暦」という暦が誕生します。
太陰太陽暦の詳細としては、3年に1度のペースで閏年を加えて、四季のズレを調整していきます。閏年では「1年を13ヶ月」に設定し、3年毎に太陽暦の周期に合わせていくという内容です。
太陰暦の暦はあくまで守りながら、ズレを太陽暦に合わせるので「太陰太陽暦」という名称がつきました。日本では6世紀後半に中国から太陰太陽暦が伝来して、明治5年まで採用されていたそうです。祖父母世代の家にある日めくりカレンダーに記載されていた旧暦とは、太陰太陽暦のことを指していたのですね。
太陽暦の歴史
太陰暦と太陽暦3部目は「太陽暦の歴史」です。
①古代エジプト・シリウス星とナイル川
太陽暦の起源は紀元前4200年前の古代エジプトです。
実は太陰暦の発明より、古い時代だったというから驚きですよね。古代エジプト人は「シリウス星の位置」と「ナイル川の定期的氾濫」の関係性から、1年が365日であることを発見しました。そしてその期間を12等分した1ヶ月30日に、新たに5日を加えて1年とする暦を定める。これこそ私たちが現在使用する太陽暦の、初代に当たるモノです。
この2つの起源を見た私の感想なのですが、月の満ち欠けを観察していたバビロニアの僧侶も、古代エジプト人がシリウス星やナイル川の規則性を観察していたことも、人間は改めて観察力が凄かったのだと畏敬を感じる知見になりました。
②ユリウス暦の誕生
そして時が経過して、太陽暦はどんどん改良が施されます。
まずは紀元前45年・古代ローマでの出来事。
古代ローマ人「ユリウス・カエサル」が、4年に1度閏年を置いて「ユリウス暦」という進化した太陽暦を制定したのです。太陽の周期は365,24日で周ることから、毎年0,24日の誤差が発生してしまう。この誤差解消のため、4年に1回366日の閏年を設けるという発想が生まれたのです。
このユリウス暦は、紀元前45年から1582年までの約1600年間に渡り、欧州の全域で使用されていたと言います。それくらい当時の人から見れば、正確で画期的な暦だったと言えるのです。
③グレゴリオ暦の誕生
そして遂に、私たちが現代使用している暦の誕生です。
1582年ローマ教皇「グレゴリウス13世」が、ユリウス暦に新たな改良を加えてグレゴリオ暦を提唱したのです。
なぜなら、ユリウス暦もまだ季節との誤差が存在したから。閏年によって1年間の平均を365、25日にすることは出来ましたが、太陽の周期は365,2422日です。つまり1年で11分程の時間過多となってしまう。たった11分と思ってしまいますが、128年経過すると1日のズレを生み出します。
この問題に対してグレゴリオ暦では「400年間で97年間の閏年」設定に変更したのです。従来の4年に1度の閏年は「400年間で100年間の閏年」になりますが、それが3年分少なくなったということですね。
400年間というマクロの視点に立って眺めると、97年間の閏年を制定した場合の「1年平均が365,24日」になり、400年後の季節と暦のズレが「26秒」になる。ユリウス暦では128年間で1日のズレが生じていましたが、グレゴリオ暦では400年で26秒のズレに縮めたのです。これはまさに画期的な暦だったと言えるでしょう。
日本では明治6年から、太陰太陽暦に変わりグレゴリオ暦が採用されました。私たちが言う旧暦は「太陰太陽暦」、新暦は「グレゴリオ暦」ということですね。現代、世界で1番使用される暦ともなっています。
最後に
本日は「太陰暦と太陽暦」のお話、いかがでしたか?
私は今まであまり旧暦という言葉に反応すらしていなかったのですが、最近はこの世の全てのことにアンテナを張って、深堀りする癖をつけています。その意識から、暦のことを調べようというトリガーになりました。このように些細なきっかけから、面白い物語を知ることができます。あなたも是非、身近な手掛かりから壮大なお話を知識のレパートリーとして増やしてみてくださいね。
本日はご精読ありがとうございました。
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