本日のテーマは「自由・不自由とは」というお話です。
唐突ですが、皆さんは自由・不自由について深く考えた経験がありますか?
もしも考えた経験がないのであれば、あなたは世間のモノサシを絶対的なモノと認識している可能性が高いでしょう。そうなれば自分の描いた人生が生きられず、搾取されてしまうことすらある。もちろん考えた結果、人によって導き出す自由・不自由は異なります。マジョリティと共感し合うという目的は達成できなくなってしまいますが、それ以上に自分なりの自由に従い生きることは幸せなことです。
本章では、私が吟味した自由・不自由について僭越ながら語らせて頂きます。思考を巡らす材料として活用してくれると嬉しいです。では2部構成で進めていきましょう。
快楽のコントロール
まず自由についてです。
自由とは「快楽のコントロール」だと思います。
①前頭前野と大脳辺縁系
私たちの心は、理性と感情の2つの心が主導権を争っています。解剖学的に言うと「前頭前野」と「大脳辺縁系」の争いのこと。感情優位に立つと、外部の環境から生まれる快楽を満たしたい気持ちに駆られることでしょう。逆に理性優位に立っているときは、合理的な選択をすることができたり、理性が描いた価値観を忠実に守るために行動選択できるようになる。つまり快楽をコントロールしている状態ですね。
②トレードオフの世界
この世の中はトレードオフの世界であり、何かを得れば何かを失う世界です。つまりその時々の感情に全て対応していれば、長期的に何か大きなものを得ることは出来ません。全てのことが中途半端になってしまい、そこから不満を感じてしまう。結果的に他責思考になったり、愚痴を言って自己肯定するしか方法がなくなってしまうでしょう。
③目的と優先順位
だからこそ理性の力で、自分は何を望んでいるのかという目的を考え、それぞれに優先順位をつけていく。そして上位の目的のために、自分の行動を選択していく。そのためには快楽のコントロールは必須でしょう。だからこそ本当の自由だと思うのです。
瞬間的快楽に生きる
次に不自由について考えてみます。
不自由とは「瞬間的快楽に生きる」ことだと感じました。
①偽りの自由
食べたいときに食べ、スマホを触りたいときに触る。やる気が出なければ何もしない。このような快楽に生きることを、何にも縛られず生きていると感じるかもしれません。ですがトレードオフが示すように、何も得ることはできない。それだけならまだしも、大きな弊害を生み出してしまいます。
②心身の健康献上
その弊害とは、心身の健康を献上すること。
自分にとってマイナスに働く行動をして、他人を幸せにする道に突き進んでしまうとも言えます。食品メーカーは、糖質と脂質が絡み合った中毒性の高い食品の開発を進めています。スマホメーカーやSNSの会社も、承認欲求などを活用してスマホを手から離さない状態へと試行錯誤を繰り返している。
これらの有毒性については本章では割愛しますが、私たちの心身の健康を害することは紛れもない事実です。つまり企業の利益のために、私たちの本当はやりたい心の声に向かえないことだけでなく、健康すらも献上してしまっている。私の意見ですが、他人に操作されたこの状況は不自由だと思っています。
最後に
本日は「自由・不自由とは」というお話、いかがでしたか?
もちろん自由・不自由と感じるその心は主観であり、人により道が分かれるものでしょう。本章で述べた自由・不自由の定義も、あくまで私の主観でしかありません。
ですが私の経験上、この2通りの人生をどちらも経験して、前者の生き方に大きな自由度を感じました。快楽のコントロールにより自己成長もしていき、新たな景色に遭遇することも習慣となっています。とても心踊る時間です。どのような答えが出るかはさておき、1度自由・不自由とは何か考える営みをして頂けると嬉しいです。
本日はご精読ありがとうございました。
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