本日のテーマは「瞑想とマインドフルネスって何が違うの?」というお話です。
まだマインドフルネス瞑想の概要について学んだことがない人に、1番多く見受けられる疑問ではないでしょうか?かくいう私も、マインドフルネスのことを瞑想と勘違いしている時期もありました。
しかしこの2つの言葉は全く違うものであり、定義が異なるものです。つまりマインドフルネス瞑想とは、この2つの要素を組み合わせたアイデアとも言えるでしょう。
本章では、瞑想の言葉の定義のご紹介をして、前記事にご紹介したマインドフルネスと組み合わせたマインドフルネス瞑想の定義も解説させて頂きます。
瞑想
まずは「瞑想」の定義についてです。
瞑想とは、1つの物事に集中すること。
瞑想と聞いて、マジョリティの人が最初に思い浮かぶイメージではないでしょうか。集中する対象はどんなものでもよく、自然音を聞く「音瞑想」、歩くことによる「歩行瞑想」、食べ物の味覚が嗅覚に意識を向ける「食事瞑想」など自由です。他にも高度なものだと「ボディスキャン瞑想」や「慈悲の瞑想」などもありますが、また瞑想の種類については別記事でお話させて頂こうと思います。
そして前回のおさらいとなるマインドフルネスの定義ですが、今ここの現実に客観的に気づくことでした。つまり瞑想とは1つの物事に集中することで、マインドフルネスは今ここの現実に客観的に気づくこと。似ているようで実は全く違う意味合いを表していますよね。
マインドフルネス瞑想
次に本題となる「マインドフルネス瞑想」の定義です。
マインドフルネス瞑想とは、1つの物事に集中して、その集中しているという事実を客観的に気づくこと。つまり瞑想している自分に、客観的に気づき続ける事とも言い表せます。
なぜマインドフルネス瞑想の習慣を推奨しているのかというと、いつでもマインドフルネスの意識を発動できるようにするためです。例えば他人に嫌なことをされて、怒りの感情が湧いたとします。その時、瞬時にあなたはマインドフルネスが発動できるでしょうか?
きっと何のトレーニングも行っていない人であれば、外部の刺激により生まれた思考や感情に操られてしまうことでしょう。しかし普段からマインドフルネス瞑想でトレーニングをしている人は、悪状況の中でもマインドフルネスを発動します。そして外部の刺激が生み出した思考・感情に乗るか分離するか選択できるようになるのです。
もちろん練習すればすぐに発動できるわけではありませんが、数をこなさなければ習得もできない。また音鑑賞や歩行中にマインドフルネスが発動できなければ、怒りという感情に対しても発動出来るわけありません。これはゴルフの練習にも例えることができますね。練習マットの上でナイスショットのスイングができなければ、本コースの傾斜のある斜面でそれを実行することは出来ません。まずは練習マットの悪影響がないところからがスタートして、本コースでの習得を目指すのです。
最後に
本日は「瞑想とマインドフルネスって何が違うの?」というお話、いかがでしたか?
それぞれの定義を紐解いてみれば、すごく単純な内容です。ですがそれを見誤って理解している人が、非常に多いのが現実です。この根幹部分が根腐れを起こしてしまえば、様々な局面で正しくアウトプットすることは出来ません。本章で、そんな基礎理解のお手伝いが出来たら良いなと思っています。
本日はご精読ありがとうございました。
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