理解・批判のその先

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 本日のテーマは「理解・批判のその先」というお話です。

 前記事のお話で、他人とのコミュニーケーション時には、批判ではなく理解に徹することの重要さをご紹介しました。本記事では、理解と批判というアウトプットをした先に訪れる具体性のある事象についてのお話です。

 人間は抽象よりも具体を理解する方が得意な生き物で、抽象だけだと分かっているつもりの状態にしかならず、行動が疎かになってしまいがちです。具体も頭に留めておき、適切な理解という行動を目指しましょう。

理解のその先

 まずは「理解のその先」のお話です。

①好意・寛容

 結論から述べると、理解すると相手は自分に対して好意を持ち、異なる意見を持っていたとしても寛容さを持ち合わせてくれるでしょう。なぜなら人は相手から理解されると、承認欲求が満たされるから。つまり相手から見た自分は、快感を与えてくれた人物になります。そうなれば大多数の人が返報性により、快感を与え返したいという気持ちが湧いてくるのです。

 それが結果として、好意というGIVEに繋がり、異なった意見だとしても相手の立場に立つ視点をイメージしてくれる。またこの積み重ねが繰り返されると、長期的に相手の価値観がこちらの価値観へと変容することだってあるのですね。

②動物の躾

 ここで1つ、具体例として動物への躾をご紹介します。

 動物に対して上手く芸ができた時にご褒美をあげるケースと、失敗した時にペナルティを与えたケースがあったとします。この場合、早く芸を覚えるのはどちらのケースだと思いますか?

 解答としては「ご褒美をあげたケース」だそうです。つまり短期的・瞬間的に言うことをきかせたいのなら罰でも効果的ですが、長期的に相手を変えることは出来ないということ。この原理は人間にも当てはまり、相手を正しい方向へ導きたいのなら批判せず理解することの重要さを表しています。

批判のその先

 次に「批判のその先」のお話です。

 では批判をすると、相手はその先にどのような行動をしてくるのでしょうか?

①仕返し・粗探し

 その答えは、自分に対して仕返しや粗探しをされてしまいます。

 自分の価値観や行動を批判されたのですから、返報性が悪いベクトルに働いて、必ず仕返しとなるアウトプットに繋がってしまう。仮に常識・道徳・合理的な要素から論破したとしても、必ずこの仕返しの気持ちは消失しません。全く別のケースで仕返しをするために、自分の粗探しにアンテナを立てられてしまうのです。

 人間ですから常時、良い判断や行動が出来るわけではありませんよね。時には間違った行動をしてしまうこともあるでしょう。そのような状況下で、相手から強烈な攻撃を受けてしまう。これらを防止する上でも、批判にメリットは皆無でしょう。

②それぞれの正義

 ここで心に留めておきたいことが「それぞれの正義」についてです。

 この世の全ての人間は、自分の主観は絶対的に正しいと潜在意識では信じています。そもそも主観はただの虚構なのですが、承認欲求からいつも主観を客観視できるわけではありません。それこそが正義感という感情の正体です。

 紀元前5世紀・古代ギリシア哲学者ソクラテスのパラドックスに「誰1人として悪を欲する人はいない」という言葉があります。つまり誰もが自分を善人だと思っており、法律を犯した受刑者ですら例外ではありません。彼らの中には彼らなりの正義の基準となる物語があり、信念を貫いているのです。

 受刑者ですらそうなのですから、法律や道徳に従っている人が悪人の認識を持っているわけがありませんよね。

最後に

 本日は「理解・批判のその先」というお話、いかがでしたか?

 このようにそれぞれが独自の正義感を持っているからこそ、対人関係の中で争い事が起こります。これが強大に膨らみ上がったものが戦争であり、ここから脱出するには批判ではなく理解に努めることが重要です。是非自分主導で争いの火種を生み出さないよう、意識して生きていきましょう。

 本日はご精読ありがとうございました。

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