絶対的正義のマイナス要因

客観力

 本日のテーマは「絶対的正義のマイナス要因」というお話です。

 絶対的正義とは、この世には絶対的な正しさがあると勘違いする思想のことです。ですが悲しいことに正義とは、大多数と群れを形成するために作られた物語でしかありません。

 認知革命によりフィクションを考えられるようになった人類は、その物語をみんなで信じました。常識・国家・宗教・お金などの物語は、通常であれば協力し合えない人数で群れを組むことを可能にしたのですね。

 しかしこの世はトレードオフであり、正義の信奉者になることにもデメリットが存在します。本章ではそんな「絶対的正義のマイナス要因」を2つご紹介していきます。

思考停止

 絶対的正義のマイナス要因1つ目は「思考停止」です。

 思考停止とは、なぜそうなるのかを深く考えずに人の意見を鵜呑みにすること。

①権威・社会性

 意見を鵜呑みにする対象は、権威や社会性などの要素を含んだものとなります。

 人間はその時代のカーストで上にいる者や、マジョリティの意見を絶対的に正しいと錯覚してしまうバイアスを持つのですね。具体的には、帰属団体となる企業・家庭・友人の大多数の意見であったり、また権威のある人やニュースで流れた情報などです。それらの意見に対して、1ミリたりとも疑わずに迎合してしまう。

②自分の頭で考える

 ですがこの状態では、自分の頭で考える力が鍛えられません。

 本来であれば「なぜこの意見は生まれたのだろう?」と深堀りして考え、自分なりの解答を出すべきでしょう。それこそが自分が自分である所以ですし、本当の意味での自己成長だからです。

 では考えることを放棄すると、一体どのような不利益を被るのでしょうか。

③操作・搾取

 それは帰属団体や権威ある人に、操作・搾取されてしまう可能性を生むのです。

 これらの対象が流す意見も人が作った物語であり、人間はそもそも自分が幸せになる物語を作ろうとする生き物ですよね。これを鵜呑みにすれば、相手が幸せになり自分は犠牲を強いるという物語を正義と信じる。他人の操り人形のような人生を送ってしまうのです。

 自分で生きる指針を決めるためにも、絶対的正義はないと客観視するところから始めてみてください。

悪意のない凶器

 絶対的正義のマイナス要因2つ目は「悪意のない凶器」です。

 悪意のない凶器とは、違う物語を信じている人を無意識に否定して攻撃すること。

①悪・敵という認識

 絶対的正義の信奉者から見ると、そこから外れた人は悪であり強大な敵となります。

 正義の勘違いがエスカレートすると、自分の主観をこの世の真理だと錯覚する。そして自分は正義を重んじる善人であり、悪人に対して正義の鉄槌をする。つまり執行人になったと感じ、正しさという悪意のない凶器を振りかざすのですね。

②正しい物語はない

 ですがこの世に絶対的に正しい物語はありません。

 例えば、人生において知的好奇心を求めて探求するのか、お金を求めて稼いで名をあげるのか、世間体を求めて大多数の承認をとるのか、多くの人に慈愛のGiveを与えて貢献欲を満たすのか、これらに答えはありませんよね。しかしそれらを客観視できないと、このような差異に対しても攻撃的になってしまう。

 相手も言葉という凶器で傷つけられますし、何よりその人自身が「敵や悪が許せない、倒してやるんだ」と怒りをベースにして生きています。これは本当に不幸な出来事ではないでしょうか。

最後に

 本日は「絶対的正義のマイナス要因」というお話、いかがでしたか?

 絶対的正義に飲み込まれれば、思考停止して搾取・操作されて自己成長もできない。さらに自分の正義から外れた人間を、悪・敵という主観を持って自他ともに傷つける。

 もし自分に心当たりがあるのなら、客観力向上を目指しましょう。知り合いに心当たりがあるのなら、まずは説得を試みて、それでも変化しないなら全力で逃げましょう。このような不幸が、この世界から少しでも消えると良いなと思います。

 本日はご精読ありがとうございました。

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