本日のテーマは「人生の原則・ヒト・コト・モノは循環する」というお話です。
この言葉は、やましたひでこさんの著書「断捨離」でご紹介されていた原則です。書籍の内容はと言うと物が片付けられない人に向けて、整理整頓された空間を常時維持するための方法論が凝縮されています。
ここまでの説明で「片付けの原則じゃないの、なぜ人生の原則?」と感じた方も、きっといるでしょう。しかしこの3つには共通項があり、人生全体を是正するための原則こそが上記の言葉なのですね。ではヒト・コト・モノが循環するとはどのような意味なのか、本章で深堀りしていきたいと思います。
価値感基準の循環
まずは私たちの価値感について考えていきます。
①価値感は変わるもの
価値感というものは、一生留まり続けるものではありません。
知識・経験によって変化するものであり、小学生時代と現在が全く同じ価値感という人もいないでしょう。それならば周りのヒト・コト・モノが循環することも、自然現象ではないでしょうか?
②価値感に沿わない悲鳴
そして過去の価値感で、仲の良かった友人や楽しいと思った出来事、ましてや当時必要だったモノに執着していては、そこに自由や成長は絶対にありません。
心の底ではもう離れたいと思っているのに、過去の縁や思い出から我慢して距離を縮めることを保つ。これが無意識に感じている、私たちの心の悲鳴です。つまり人生を心豊かに過ごすには、価値感基準で全てのモノが循環しているというファクトを客観視することが大切なのですね。
それぞれの具体例
では次にヒト・コト・モノの具体例を、それぞれ覗いていきます。
①学生時代の縁
まずはヒトの具体例として、学生時代の縁を取り上げます。
学生時代の縁を大切にすること自体は、素晴らしいことです。しかし片方の価値感が移行しつつあるのに、もう片方が同じ価値感のままでいる。この状態で、2人の会話は過去のように楽しく語り合えるものでしょうか?
きっとお互いに価値感のズレを感じ、前者は「いつまでも成長しない人だ」と揶揄するようになる。また後者は「あいつはおかしくなってしまった」と嫌悪の心を感じる。こうなれば循環しないがために、お互いが不幸になってしまう。または違う価値感に対して、悪という主観を持ってしまう。
価値感に成否はないもので、どちらも間違っていない。しかし違う価値感の人が無理して共生した先には、不協和音を奏でるストーリーしか生まれない。このケースでの正しいアクションとは、お互いが不幸にならないように別々の道を歩むことではないでしょうか。
②失ってしまった足
次にコトの具体例として、失ってしまった足というお話です。
酷な話となりますが、交通事故で足を失ってしまったとします。それならば今までの自分ができる行動は否応なしに変わり、同じ価値感を抱いていては苦しみの人生になってしまう。この状況で平穏な心持ちで生きていくためには、それに適した価値感に変化しなければいけない。
ヒトの具体例では価値感に合わせて、状況を意図的に変えるというお話でしたが逆も然り。どうしても変えられない状況があるのなら、そこは幸福を感じられる新たな価値感を提唱して循環を受け入れる必要性がある。この原則は、幸福感を感じるには唯一無二の主観となるのです。
③堆積状態の深層心理
最後にモノの具体例として、堆積状態の深層心理を紐解いていきます。
モノを片付けられず部屋が散らかり、堆積の状態になっている人は循環の意識が皆無です。自分が現在の価値感で必要なモノは、実はとても少ない。とどのつまり所有過多の状況を生み出している理由は、過去や未来からくるモノへの執着です。
一見、モノはあればあるだけ良いと人は錯覚してしまうもの。しかし価値感に適していないモノ所有には、マイナス面も実はある。次回記事では、このポイントについて紐解いていきたいと思います。楽しみにして頂けると嬉しいです。
最後に
本日は「人生の原則・ヒト・コト・モノは循環する」というお話、いかがでしたか?
循環する意識は、心豊かな人生での必須条件です。もちろん、この原則を守るか否かも1つの価値感です。自分に採用するかどうかは、1度時間を設けて考えてみましょう。あなたが考える際の材料の1つとして、本記事が一助になれば嬉しく思います。
本日はご精読ありがとうございました。
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