「言葉の技術・本質の理解」は表裏一体

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 本日のテーマは「言葉の技術・本質の理解は表裏一体」というお話です。

 言葉の技術を習得することと、本質の理解力を向上させることには、一見関連性がないように見えますよね。しかし2つは対をなすものであり、同時に昇華している能力なのです。つまり言葉の技術が習得できれば、様々な物事を深い次元で理解することも可能となる。分かりやすい説明ができたり、心の琴線に響く文章が書けるだけではないのですね。

 本章では「言葉の技術・本質の理解は表裏一体」というテーマに対して、2部構成でお話を紐解いていきましょう。

言葉という発明品

 まずは言葉について考えてみます。

①具体のクッション

 言葉とは抽象的な本質の内容を、具体的な表現で分かりやすく理解・説明するために生み出された発明品です。人間は抽象を理解がすることが苦手であり、具体を理解することが得意な生き物です。だからこそ言葉という具体のクッションを挟まなければ、抽象的な本質の内容を理解することが出来なかったのですね。

②言語的思想の詰み

 もしも仮に言葉がなければ、人類の99%以上の人は言語的思考をしているので抽象的なモノを理解ができない。考えることに対して詰み要素満載であり、ほんの一握りの非言語的思想ができる人でしか本質の内容に辿り着けなかった。

 つまり凡人であっても、深い思考を可能にした発明品こそが言葉だったということですね。

果物の皮・実の比喩

 そして言葉と本質は、果物の皮と実に比喩ができるでしょう。

①食欲を唆る皮

 まず言葉は、果物に例えると食欲を唆る表面の皮です。

 果物の外側を纏っている皮を見て、美味しそうに見えるからこそ中の実を食べたいと感じられます。もしも皮が不気味な色でシワがよっていたら、どんなに実が美味しかったとしても食欲は湧かないでしょう。

②美味しい実

 そして本質とは、果物に例えると美味しい実です。

 果物の楽しみ方は見た目・香りと多彩に存在しますが、やはりメインの楽しみ方は味でしょう。どんなに皮を纏った状態で美味しそうに見えても、実際食べてみたら不味かったのでは本末転倒です。そこまでの喜び・感動も台無しとなってしまう。

③言葉と本質に置き換えてみる

 では果物の皮と実を、言葉と本質に置き換えてみます。

 どんなに本質の内容が深くても、伝えるための言葉が分かりにくければ知ろうと思いませんよね。つまり本質の事実に気づいてもらえない。まさに実も大事ですが、皮が大事であるという証です。

 また多彩な言葉を使って心を動かす文章が執筆できたとしても、本質の内容が浅ければ言葉のスキルを持った人には偽物だと見抜かれます。これは表面の皮の知識を持っている人は、中の実が美味しいのかを食せず見極められるのと同じですね。

 このように言葉のスキルを研磨することは、目の前の情報が本質であるかを見極めるリテラシーにもなる。または表面の言葉を丸写しで覚え、他人の言葉をリピートするだけの人間から卒業できる。まさにこの状態は、皮だけみて実際に実を食べていないのと同義なのですね。

最後に

 本日は「言葉の技術・本質の理解は表裏一体」というお話、いかがでしたか?

 このように2つの能力は別々に上達するものではなく、同時にシナジーを描き昇華していく能力です。

 だからこそ本や動画でインプットした内容は、自分の言葉に再言語化していきましょう。この文字にする過程により、本当の意味で内容の本質理解が可能になる。そして同時に言葉のスキルも高まるので、丸暗記の勉強からも卒業できる。少しでも多くの人が、2つの能力の好循環に入ってもらえると嬉しいです。

 本日はご精読ありがとうございました。

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