本日のテーマは「文章においての嘘」というお話です。
あなたは文章を執筆する際に、嘘をつくことを完全悪だと思いますか?
実はほとんどの文章には嘘が溶け込んでいて、完全に真実だけが述べられている文章というのもごく少数です。とどのつまり文章には嘘を取り入れるべき箇所と、絶対についてはいけないポイントがあるのですね。
本章では、文章においての嘘を2枠で分類して覗いていきましょう。
結論の嘘
文章においての嘘・1枠目は「結論の嘘」です。
結論の嘘とは、意見・主張という嘘のことです。
当然といえば当然なのですが、意見や主張は「執筆する人の立場」や「辿り着きたい目的」によって変化するものです。なぜならこれらが1次情報ではなく、2次情報でしかないから…。
①1次情報と2次情報
1次情報は、客観的な数字や事実のこと。具体例を挙げますと、特定の日付に何か事件が起こったり、ある物質の重さが何gであるかなどの情報が該当します。これらは紛れもない事実であり、それらを言葉や数字で綴ったものという訳ですね。
それに対して2次情報は、1次情報を見て感じた意見や主張です。その人の感性で導き出した感想であり、同じモノを見ても人によって全く異なった心の声が生まれます。
②2次情報はフィクション
つまり2次情報とは、全てが虚構でありフィクションなのです。
例えば、目的として「経済的自由を目指している人」と「人間の振り幅を広げることを目指している人」との感性は違います。そうなれば、それぞれの感性から説かれるフィクションも異なったものになるのは当然でしょう。
③魅力を感じない文章
ではここで視点を少し変えてみて、魅力を感じない文章について考えてみましょう。
皆さんは、どのような文章に魅力を感じないと思いますか?
その解答としては「1次情報だけの文章」です。
ただ客観的事実や数字をありのまま記載されていても、人はそこに楽しみを感じません。人が楽しみを覚えるのは、1次情報に対しての人の主張や意見というフィクションを見聞きしたからこそ起こることなのですね。
④歴史授業の具体例
ここで歴史の授業を想起してみましょう。
ただ年号と事実を丸暗記した勉強は、楽しかったでしょうか?
歴史を楽しいと思える人は、歴史上の事実をつくりあげてきた多くの人達の、2次情報(主張・意見・フィクション)通しがぶつかりあったヒューマンドラマに魅力を感じている。
これと同じことが文章でもいえて、ただ役に立つノウハウだけ記載されていたのでは退屈になり読まない。なぜそのノウハウを使うべきかという、その人が作った嘘を私たちは楽しんでいるのですね。
根拠の嘘
文章においての嘘・2枠目は「根拠の嘘」です。
根拠の嘘とは、結論のお話に整合性がとれなくなる嘘のこと。
①信頼感は地に落ちる
人は結論がフィクションであったとしても、「この人はこのような主観を持っているのだな」と受容してくれます。しかしその主観が、正しいと説明するための文章に嘘が混じっていれば信頼感は地に落ちるでしょう。
つまりどんなにキレイな結論(主張・意見)を述べていても、その人から何も学ぼうと思ってもらえなくなる。
②ステーキ店の例え
例えば、あるステーキ店を推すための文章を記載したとしましょう。
その文章の中の結論として「日本で1番美味しいステーキ店だ」という主張を掲げました。これはどどのつまり嘘ですが、誰もそんな点は問題にしません。
しかし根拠として「国産牛を100%使用している牛肉が美味しかった」と述べていて、その肉が海外産のモノであったらどう感じますか?あなたはその人の食レポを、信じる事ができるでしょうか?
③理解していないモノ執筆しない
そこで理解していないモノは、絶対に執筆しないようにしてください。
どの物事も学ぶほどに深く広いもので、掘れば掘るだけ知らないことが見えてきます。つまり万人よりも優れた知識を持ったからといって、その分野を全て網羅した訳ではないのです。とは言え、全て網羅してから執筆しろと言っている訳ではありません。そんなことをしていたら、文章執筆前に命の時間が尽きてしまいます。
重要なことは文章の中で、まだ理解していないモノには触れないこと。自分が知ってる範囲の内容まで風呂敷を広げて、それ以上は介入しない。もしも語りたいという気持ちがあるのなら自己研鑽で理解を深めてからであり、その都度執筆すればいいのですから焦る必要もありませんよね。
このように何があっても、根拠の嘘だけは避けて文章を執筆していきましょう。
最後に
本日は「文章においての嘘」というお話、いかがでしたか?
自分の2次情報の結論の虚構は、どんどん開示していきましょう。そして根拠となる微細な点は、徹頭徹尾で嘘をつかない。この嘘の原則を守ることが、人を惹きつけ信頼感を維持する文章になると言えるでしょう。
本日はご精読ありがとうございました。
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