本日のテーマは「感情は本である」というお話です。
人間は感情の動物であり、普段の生活の中で喜怒哀楽の情動を感じます。しかし多くの人が、自分の感情を本当の意味で客観視出来ていません。なぜならあなたが認識している感情は、表面に浮かび上がった感情でしかないから…。その感情が生まれる原因となった、深層心理の感情が必ずあるはずなのです。
とは言っても自分自身の感情を深堀りする経験が浅い人には、少しイメージがつきにくいかもしれません。そこで本章では、自分の感情を深堀りするイメージの一助として、感情は本のようなものという比喩をご紹介したいと思います。
表面上の感情「本のカバー」
まず誰もが認識しやすい表面上の感情についてです。
この感情は「本のカバー」に例えられます。
①装丁に要約文
本のカバーとなる装丁には、タイトルや帯など、短い文字で内容をまとめた要約文が記載されています。このカバーに含まれる情報を見聞きすれば、どのような分野のことが記載されているかの大枠を理解することが可能となるのですね。しかしその本に詰まった情報たちを、網羅することとは異なるでしょう。
②読書術の本の例え
例えば「初心者のための読書術」というタイトルであったとして、帯に「鍵はアウトプットにあった」と記載されていたとしましょう。
これによって勉強の為の本だと、大枠の分野は分かる。ただそれだけでは具体的な手順も、なぜアウトプットが大事なのかという根拠も分かりませんよね。本を手にとり、ページを開いて、初めてそれらの微細な内容と出会えるのです。
③退屈の感情
では表面上の感情として「退屈」の感情を見ていきましょう。
この感情を認識することは、きっと誰しもが出来るでしょう。まさに本のカバーを見るだけなら、すごく簡単であることと同義です。
しかし表面上の感情には気づけても、なぜ退屈という感情が浮かび上がったのかという深層心理までは気づけない。自分の心理なのに、自分で自分が分からないのです。とどのつまり自分のありのままを理解するとは、実は隠れた高等スキルです。まさに誰しもが、本の読み方が分からないのです。
なぜ?「本を読む」
ではどうすれば、自分の感情の深層心理に気づけるのでしょうか?
その答えは、自分の感情に「なぜ?」と質問を繰り返すこと。
この感情に対してのWhy?の反復活動が、本を読むという作業と全く同じなのです。
①退屈への「なぜ?」
では先程の退屈という感情の具体例に対して、なぜ?の質問を繰り返してみましょう。
「なぜ退屈なのか?」と自問自答すると、目の前の話に「興味・関心がない」という自分の奥側の感情に気づけます。ですが、まだここで辞めてしまっては深層には辿り着けません。もう少しWhy?と掘っていきましょう。
②屈辱を感じる
質問を続けると「屈辱を感じる」という感情に出会えるかもしれません。
興味・関心を持とうとすることは、その分野で相手が教師、自分が生徒の立場になるということ。つまり人の下についた感情になり、無意識に屈辱を感じてしまうのですね。そして屈辱の回避のため、興味・関心がないという感情を選択して、表面に今退屈であるという感情が表出された訳です。
③無力感に苛まれる
また人によっては、違う道筋もあるでしょう。
興味・関心がないという感情は「無力感に苛まれる」ことを避けている、そんな自己否定からの防衛本能という道筋です。
興味・関心を持てば、新しい分野の内容が深ければ深いほど無力感が頭に侵食します。また相手の教え方が下手であるほどに、自分の手には負えないと思ってしまうでしょう。そんな自己否定の感情を持つくらいなら、興味・関心がないという感情を選択した方がマシである。そして退屈という、表面の感情を生み出すことに繋がるのですね。
このように同じ退屈という感情であっても、深層心理は千差万別です。それを知るための手段こそが、本を読むように「なぜ?」と自問自答していくことなのです。
最後に
本日は「感情は本である」というお話、いかがでしたか?
本を読んで内容を知っていくように、自分の表面上の感情に「なぜ?」と問い続けて深層心理を知りましょう。
人は自分のことを正しく知っているからこそ、自分軸の生き方というレールを敷くことが可能となる。自分で自分が分からなければ、レールを敷けるはずがありません。とどのつまり「他人・時代・帰属集団」が敷いてくれたレールを、思考停止で生きていくしか選択肢がなくなる。
是非、「なぜ?」の質問を繰り返して自分を知るための勉強を始めてみてください。
本日はご精読ありがとうございました。
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