本日のテーマは「思考とは言葉が綴るお話」という内容です。
人間は言葉を活用し思考することによって、様々な物事に対して理解をしたり、新たな創造物を生み出す事を可能としてきました。全ての文明の起源はここにあり、人間が食物連鎖の頂点に君臨した所以とも言えるコア属性です。
しかし思考がもたらすものはメリットばかりではなく、悲観的な反芻思考なども生じさせます。これらは言葉を習得しなければ、本来感じることがなかった苦しみです。まさに世はトレードオフという事実を証明する、代表的な事象の1つですね。
そこで負の側面に対して「思考とはただ言葉が綴るお話」だと、原点回帰してみてはいかがでしょう…?本記事ではこの核心的なポイントについて、詳しく紐解かせてください。
フィクションも混在
まず思考には「フィクションも混在」していることを忘れてはいけません。
①2つの道
私たちは何かしらの対象を見ると思考しますが、そこには2つに道があります。
それは「事実」と「意見・感想」です。
他の語彙を用いるのであれば、ありのままの事実を「1次情報」、その事実を見て考え出した意見・感想を「2次情報」とも言います。前者はノンフィクションを言葉で綴ったお話であり、後者は言わばフィクションを言葉で綴ったお話ですよね。フィクションだからこそ、同じモノを見ても人それぞれ生み出されるお話が違うのです。
②価値観・夢・志
そして「価値観・夢・志」も、フィクションとなる2次情報です。
この世界は、不条理や無秩序も溢れる弱肉強食の世界です。もしも言葉を習得していなければ、この事実も知らないまま生きていたことでしょう。しかし言葉を知ってしまい、そんな世界の事実を理解できるようになってしまった。
だからこそ人は、生きる上での心の拠り所なる「価値観」や、生きる方向性となる「夢や志」のフィクションを描くのです。
③重視すべきポイント「助け」
この事実から紐解くと、思考する際の重視すべきポイントが分かります。
それは思考が「助け」になるか否かです。
仮に反芻思考で自己否定のフィクションを回しているのであれば、それは自傷行為と全く同じでしょう。またノンフィクションの事実であったとしても、自分が恵まれていない現実を理解して終わりでは、幸せな心持ちにはなれませんよね。
だからこそ思考で1番重要なことは、自分の助けになる言葉をお話として綴ることなのです。そのお話は自分が恵まれている状況を表したノンフィクションのお話でも、自分のバイタリティを発火させるフィクションのお話でも構わないのですから…。
ネガティブな内容80%
また助けになるお話を綴るために、留意しておかねばいけない真理があります。それは私たちが言葉で綴るお話は「ネガティブな内容が80%」であるということ。ではなぜ思考の8割が、マイナスのお話を綴ってしまうのでしょう?
①ネガティビティ・バイアス
それは「ネガティビティ・バイアス」という認知の歪みを持っているから…。
このバイアスは、ある物事を見た時にポジティブなものに気づきにくく、逆にネガティブなものに気づきやすくなってしまう偏りの視野のこと。私たちの遺伝子によってプログラムされたこのバイアスにより、無意識の状態では助けになるお話を綴ることを妨げてしまうのですね。
②古代の環境適応
ではなぜ、自分を傷つけるモノの見方をしてしまうのでしょう?
それは人間の遺伝子が、古代の環境に適応しているからです。
まだ狩猟採集生活を送っていた頃に今の遺伝子は出来上がり、そこから進化を遂げていません。しかし言葉・思考の力で、新たなお話を綴って文明だけは加速度的に更新させてきました。その環境の変化が早すぎて、遺伝子が置いてけぼりになってしまったのですね。
ネガティブに気づく力は、食物連鎖の上位に位置していない時期には大きく役立ったことでしょう。なぜなら猛獣から身を守るためには、マイナスなことにアンテナを常時張っておく必要があるからです。とどのつまり楽観的な個体は絶滅の一種を辿り、悲観的な個体が私たちの祖先に当たるということ…。そして現代では、遺伝と環境の不協和音を奏でてしまっているのですね。
最後に
本日は「思考とは言葉が綴るお話」という内容、いかがでしたか?
遺伝子の力で無意識にネガティブなお話を綴ってしまうのなら、ただただその事実を俯瞰するしかありません。すると自分が描いたお話は、単なる1物語なんだと平静な気持ちを取り戻せます。そしてフラットな気持ちになったのなら、ポジティブなお話を白いキャンバスに綴ってみることが、個人的には最良の選択肢ではないかなと思いました。
次回記事では、この本能に抗うアクションを遂行するための「脱フュージョン」というテクニックについてお話させて頂きます。楽しみにして頂けると嬉しいです。
本日はご精読ありがとうございました。
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