本日のテーマは「思考と事実の分離・脱フュージョン」というお話です。
脱フュージョンとは、「言葉が綴ったお話(思考)」と「実際の出来事(事実)」が意識の中で混沌として1つになった状態から分離させることです。
前回の「思考とは言葉が綴るお話」という記事の中で、思考にはありのままの事実を理解するため記したノンフィクションの思考だけでなく、客観的事実を自分なりの解釈でオリジナルに考え出したフィクションの思考も含まれているというお話に触れました。
このフィクションの思考により国家・お金・宗教などを作り出し、人が大多数で群れをつくるための一助になったのですね。しかし進歩がもたらすものは必ずしもメリットばかりではなく、大きな足枷も同時に引き受けなければいけないもの…。
そしてフィクションの思考がもたらした負の側面は、ネガティブな物語と自分の意識が一体化し、自己否定の反芻に覆い尽くされてしまうことでしょう。本記事では、この状態から分離させるため「脱フュージョン」というテクニックについて紐解いてお話していきます。
フュージョン
脱フュージョンの話に移る前に、まずフュージョンの詳細から入りましょう。
フュージョンとは、「言葉が綴ったお話(思考)」と「実際の出来事(事実)」が混沌として、自分の意識の中で一体化してしまった状態です。
①事実と錯覚
つまり本人自身は、事実だと錯覚してしまっているのです。
客観的に見れば、認知の歪みの主観を持っていることは明らかでしょう。しかし本人は視野狭窄の世界に籠もっており、実際の出来事を正しく把握できていません。そして自分が妄想で膨らましたフィクションを、事実だと錯覚の中で生きる羽目になってしまうのですね。
②強迫観念に自動操作
またそれらのフィクションは強迫観念を生み出し、自分自身の全ての行動を自動操作してしまうことでしょう。そこには「主体的な自分の目的や方向性を選択する意識」は皆無であり、無意識のうちにネガティブ・フィクションに傀儡のように踊らされます。
イギリスの進化生物学者・リチャード・ドーキンスは「生物は遺伝子の乗り物である」という言葉を残していますが、まさに古代の環境に出来上がったリスクヘッジの本能が、負の側面に働いた最たるモノとも言えそうですね。
脱フュージョン
では本題の脱フュージョンで、思考と事実を分離していきましょう。
そのためのSTEPは大きく分けて3つです。
①まず気づく
1つ目のSTEPは「まず気づく」こと。
自分がネガティビティ・バイアスという遺伝子による命令によって、物事のマイナス部分だけ積極的に掻い摘んでいることをまず知りましょう。そして負の物語を描くストーリーテラーであるという事実を、ただただ観察するのですね。
②弾圧・逃避をしない
2つ目のSTEPは「弾圧・逃避をしない」こと。
負の物語と一体化することが1番最悪なパターンですが、弾圧や逃避も最善策とは言えません。一時的に負の物語から分離することが出来ても、きっと未来に新たな大きな負の物語を描くことでしょう。なぜなら、どちらも自己肯定感を下げる営みだから…。
弾圧では「ネガティブに考えちゃだめだ、ポジティブに考えよう」と意識を切り替えようとしています。しかしこの行為は、今の自分の心の声を否定していますよね。誰1人として、否定されて自信がみなぎってくるような人はいないはず…。1種のドーピングのようにその場だけ明るい気持ちになっても、自己否定の信念を強化させて後に大きな負の物語を描くのは自明です。
また逃避では、エンタメ・娯楽などに意識を向けて目をそらします。しかしこれは苦しみを訴える心の声を、無視している行為と同じです。無視も否定と同じく自己肯定感が下がり、その後のネガティブ思考を強化する流れは同義と言えるでしょう。
③ただ受け入れる
そこで最善の方法こそが、3つ目のSTEP「ただ受け入れる」です。
自分のネガティブ思考を「そう感じるんだね」と、評価もせずフラットな感覚でただただ受容していく。すると自分で自分を認めてあげる行為になり、ありのままの自分を好きと感じられる価値観が強くなっていくのです。
つまりネガティブ思考に対して、言葉を綴ること自体はOKなこと。問題はそれと一体化したり、弾圧・逃避することが誤りだったのですね。
最後に
本日は「思考と事実の分離・脱フュージョン」というお話、いかがでしたか?
私自身の体験談となりますが、受容・観察による脱フュージョンの力は偉大なものです。
もちろん弾圧や逃避のほうが、少しだけ早くネガティブ思考から抜け出すことが出来るかもしれません。しかし長い目で見た時にネガティブ思考の頻度が増えたり、受けるダメージが大きくなってしまいます。
この体験からネガティブ思考への対処法も、他の物事と同じく投資の意識を持つことが重要ではないかと思いました。
本日はご精読ありがとうございます。
コメント