本日のテーマは「なぜ同調圧力は生まれるのか?」というお話です。
日本人の国民性として、良く話題にあがる習わしで同調圧力が挙げられます。世界の風潮がダイバーシティの流れに乗っていることから、少しずつ緩和の一途を辿っていますが、まだまだ肌感覚的には根深く残っていると感じます。
ここまであまり良くないニュアンスで文脈を綴りましたが、全てのモノには良い側面と悪い側面を持っていることは事実です。そのような意味では同調圧力という言葉は、個人主義から見たポジション・トークなのかもしれませんね。
ただ本ブログのコンセプトとして「自由・好奇心」を掲げていることから、あえてこの言葉を使用させてもらい、なぜ同調圧力が生まれたのかを深堀りして考えていきたいです。しがなさも残る思考の旅に、少しばかりお付き合い頂けると嬉しいです。
教育内容
まずは日本の教育内容から覗いていきましょう。
同調圧力を生み出す日本の教育内容として、2つの要素が根底に潜んでいるのではないかと感じます。
①思考力の教育がない
まず教育内容の1要素目は「思考力の教育がない」ことです。
私たちが受けてきた教育は、詰め込み型の学校教育で様々な知識を頭の中に吸収してきたことでしょう。知識は武器なので、多くのことを吸収すること自体は素晴らしいことです。ただその知識を基に、自分の頭で考えさせる教育が施されていない…。つまり「なぜその知識は採用されているのか?」・「どうしてこの方法論が良いと提唱されているのか?」、これら能動的な営みを一切行っていないのですね。
思考することは言わば、武器で戦う自分の戦闘技術を高めることです。そして詰め込み型に極をとった教育は、武器コレクターとなり戦闘技術を一切身に付けなかったことに等しいでしょう。だからこそ常識という決められたレールだけ暗記して、それらがなぜ生まれたのかを考えられない。そしてそこからハズれようとしている人間を、正義の名のもとに袋叩きにするのですね。
②歩調を合わせる教育
教育内容の2要素目は「歩調を合わせる教育」です。
日本では1つの考えのもとに皆が集い、歩調を合わせることを善だと教えます。この社会性を養う教育により、日本人はとても謙虚で他者への思いやりがある国民性なのでしょう。この能力を持ち合わせていることは、他人との共存生活では重要な一因です。
しかし一貫しすぎた歩調の合わせは、1人1人の主観的幸福感を激減させてしまう。そして自分は苦しく我慢して迎合しているのに、それを無視して自由に生きている人が許せない。一種の妬みの気持ちも、同調圧力の原動力になっているのではと感じます。
抜けられない原因
では次に、同調圧力から抜けられない原因も考えてみましょう。
私は2つの原因によって、思考力を持つ人であっても同調圧力に迎合してしまうのではないかと感じます。
①承認欲求
同調圧力から抜けられない原因1つ目は「承認欲求」です。
承認欲求とは、自分の存在を他者に認めてもらいたいと感じる欲求のこと。
出る杭は打たれるように、この世は少しでも周りに歯向かえば叩かれてしまうもの。思考力がある人であれば、自分を貫いた先には叩かれない未来があると分かっている。それでも途中の道のりで承認を失うことが怖くて、不安に飲み込まれてしまうのですね。
このようにして幼い頃に持っていた好奇心や自由感は、少しずつ同調圧力により承認という人質により抑制させられてしまう。19~20世紀の画家パブロ・ピカソの言葉に「全てのものはアーティストである、問題は大人になったときにアーティストでいられるか」という格言がありますが、アーティストでなくなる最たる理由こそ、同調圧力による承認欲求ということになりますね。
②忙しさと責任
同調圧力から抜けられない原因2つ目は「忙しさと責任」です。
サラリーマンの生活はとても忙しく、配偶者や子供を持てば責任感も一層強くなることでしょう。このような状態で同調圧力や承認欲求の呪縛から抜けることは、生半可なメンタリティでは出来ません。
本来であれば学ぶことが仕事である学生時代に、思考力を身につけて会社や国家に依存せず生きていくスキルを身につけるべきだった…。しかし教育システムがそれを教えず、資本主義で資本家を支える一助になる教育が施される。
さらに苦しみが伴う環境なら人は主体的に学びますが、日本は学生にとって恵まれた環境です。世のエンタメが溢れる現代社会で、それらに気づいて主体的に学べる人が一体どの程度いるでしょうか。これらも忙しさと責任が待ち受けるところまで視野狭窄に陥り、同調圧力と一体化しないと生きていけない原因なのかと思います。
最後に
本日は「なぜ同調圧力は生まれるのか?」というお話、いかがでしたか?
少し暗い視点からのお話になってしまいましたが、私の個人的な意見としてはそれでも自由や好奇心へと向かってほしい…。最初は大変なこともあるかもしれませんが、その先には広くて壮観なバイタリティ溢れる毎日が待っている。
次回記事では勇気を持って前に進むために、まず好きな道に進めない執着について考えていきたいと思います。楽しみにして頂けると嬉しいです。
本日はご精読ありがとうございました。
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