「学力と思考力」は異なる能力

問題解決

 本日のテーマは「学力と思考力は異なる能力」というお話です。

 学生時代の成績が良く、有名な大学卒業の肩書きを持っている人を見ると、多くの人が賢い人だと認識するでしょう。では本当に、彼らは全員が賢いのでしょうか…?そもそも賢いという抽象的感覚は、何を持って言っているのでしょうか…?

 そこで本記事では、学力と思考力という2つの能力を取り上げて、賢いことについて吟味していきたいと思います。「えっ?学力も思考力も同じじゃないの?」と感じた方もいるかもしれませんね。しかし2つの力は似ているように見えて、全く異なる能力です。そして日本人は思考力のスペックが弱い人が多く、その対象は高学歴な人であっても例外ではありません。

 では2つの力の定義、その力を分かりやすく例えた比喩からこの事象を考えていきましょう。

学力と思考力の定義

 まずは学力と思考力の定義をそれぞれ覗いていきます。

①知識の所有量

 学力とは、自分自身が所有している知識の量のことです。

 この世界には様々な学問がありますが、それぞれにおいて基礎知識・応用知識などが存在するでしょう。そんな先人たちが残した英知を、少しでも多くの量を自身の頭の中に暗記していること。これを学力と言うのですね。

 人によって1つの学問に深く精通したスペシャリストから、多くの学問を6割以上理解するジェネラリストなどに分かれます。

②知識使用で考える力

 次に思考力とは、自分自身で所有している知識を使って考える力です。

 本ブログでも「自分の頭で考える力をつけよう」という言葉を、何度も記載しています。この言葉の真意は、思考力を研磨しようということです。表面の知識という材料により自ら考え抜いて、本質の理解、自分だけの答え、アイデア創出などを目指していくこと。これこそ思考力です。

③思考力が低い人の特徴

 では思考力が低い人とは、どんな人でしょう?

 その特徴とは本やネットに記載されている文章を見て、疑わずにすぐ納得してしまう人です。思考力が乏しいからこそ、表面だけの言葉を信じて素直な状態に陥るのですね。

 思考力が高ければ、なぜこの知識は合理的なのかを自身で思考して、本質を見つける。または人によって結論が分かれるものであれば、自分だけの答えを生み出す。他にもこの世に点在する知識の、まだ誰も見つけていない新しい組み合わせを思考して見つけ出すでしょう。

④文明発展の理由

 人間は考える力が突出していたからこそ、文明を築いて世の中を発展させてきました。人が作ったものをただ暗記するのではなく、自分自身が新しいものを作っていく。このような変化を生み出す人物こそ、考える力が突出しているのですね。

料理の比喩

 では学力と思考力を、料理というジャンルに比喩してみましょう。

①食材集め

 まず学力は、食材集めに例えられます。

 今ある多くの学問の知識を頭の中に所有することは、様々な新鮮な食材をストックすることと類似しています。

 そして日本人に多い、学力は高く思考力が低い人は、多くの食材たる知識の所有者です。もちろん食材だけで食しても美味しいように、その人の持っている知識の話を聞くだけでも楽しかったりします。しかし更に高みにいる人は、食材の保持で留まりません。

②料理する

 次に思考力ですが、料理することに例えられます。

 所有している多くの知識を材料に自分の頭で考えて、本質の見極め、自分だけの答え、アイデアの発見をする。これは多くの食材を活用して、様々な料理を手掛ける料理人と全く同じです。とどのつまり本当に賢い人というのは、食材集めに留まらず、自ら料理をしているのですね。

 そして料理店によって味が異なるように、思考力が導き出す答えも1つではありません。人の数だけ考えが分岐していき、そんな他人の思考の結果を聞くことも、上級の知的好奇心が味わえます。

③学力が低く、思考力が高い人

 また学力は低くとも、思考力が高い人も存在します。

 所有している食材の数は少なく、安価なものしか持っていません。しかしそんな限られた食材の中で、美味しい料理を作る人っていますよね…?

 その最たる例が子供であり、持っている知識はあまりないのに驚異的な発想をしたりするものです。20世紀の現代アートを代表する画家・パブロ・ピカソは「全ての子供はアーティストであり、問題は大人になったときにアーティストのままでいられるか」という格言を残しています。この言葉は当たり前の知識を詰め込みすぎて、大人になるに連れて思考力を退化させてしまった人々への警鐘の言葉ではないでしょうか。

最後に

 本日は「学力と思考力は異なる能力」というお話、いかがでしたか?

 私の願望とも言える考えなのですが、知識を多く所有することと、自分の頭で独創的な考えを生み出すことが異なるモノだと多くの人に認識してもらいたいです。すると高学歴だから天狗になる人や、高卒だから劣等感を強く抱く人が減るでしょう。そして大多数の人が思考力が高くなれば、会話の振れ幅が広がり、相手を尊重できるコミュニケーションが出来るようになるのではないでしょうか。

 次回記事では、日本人の多くが思考力を喪失してしまった理由についてのお話です。思考力が低い人が多いということは、その人の責任だけではありません。まさに環境がもたらした結果とも言えるものです。記事の内容を、楽しみにして頂けると嬉しいです。

 本日はご精読ありがとうございました。

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