30カ国を支配する大国「邪馬台国」

歴史

 本日のテーマは「30カ国を支配する大国・邪馬台国」というお話です。

 3世紀に中国で執筆された「魏志」倭人伝を読むと、邪馬台国という30カ国を支配する巨大な大国が登場します。日本史上で初の大国となる邪馬台国は、一体どんな国でどんな人物がいたのか…?またこの国は、現在のどこの地域にあったのか…?

 是非とも一緒に活字を通して、タイムトラベルの旅を楽しみましょう。

卑弥呼と壱与

 まず邪馬台国の、2人の女王をご紹介しましょう。

 その名は「卑弥呼」と「壱与」です。

①倭の大乱を治めた女王

 卑弥呼は、邪馬台国の初代皇帝であり、倭の大乱を治めた女王として有名です。

 弥生初期には100余国の国が、穀物や土地を巡って大乱を繰り広げていました。少し前の時期に「奴国」という国が、「後漢」王朝の属国になったのも権威をバックに戦いを有利に進めるためでしたよね。ですが結果として、邪馬台国が30カ国を支配します。

 とどのつまり、奴国は卑弥呼に破れてしまったのかもしれません…。まだ文字がなかった日本では、正確な情報がない所がモヤモヤポイントですね。ただこれらの謎が、考古学者の好奇心を駆り立てるのも確かでしょう。

②親魏倭王

 そして卑弥呼は、239年(3世紀)に「親魏倭王(しんぎわおう)」の称号を授かります。

 中国・三国時代「魏」の第2代皇帝「曹叡(そうえい)」から授かり、こちらも奴国の際と同様に「親を魏とする、倭(邪馬台国)の王に任命する」という意味が込められています。やはり当時の中国は、権威・文化ともに高いレベルに達していたことが垣間見れますね。

③奴隷の生き埋め

 また卑弥呼の権威を知る事象として、奴隷の生き埋めが有名でしょう。

 卑弥呼が逝去した際に、なんとその墓に奴隷を生きたまま一緒に埋めたというのです。現在の価値観で考えれば、鬼畜ぶりが高まっているように感じますが、当時の邪馬台国では女王という身分が正義の全てだったのでしょう。

 このように時代が変われば善悪の主観が変わり、それを勉強することで俯瞰する視野を手にできます。そして主観の変動として、心が温まる方向へ進捗しているなとも気づけますよね。私の主観としては、この現在地に感謝してさらには満足せず、全ての人間に差別がない、能力を上下でなく特徴として捉える、そんな未来の主観が来てくれると嬉しいなと感じます。

⑤安定をもたらした13歳の少女

 では、歴史のお話に戻りましょう。

 卑弥呼の逝去後に、邪馬台国は男の王をたてることになりました。しかしその王では、国を安定して統治することが難しかった…。結果的に、内乱が起こってしまったそうです。

 そんな荒廃した世の中に、その後に安定をもたらしたのが、なんと13歳の少女というから驚きです。彼女の名前は「壱与」。新たな邪馬台国の女王であり、再び国をまとめた手腕を見せつけました。彼女は266年に「晋」王朝に使者を送っており、当時の年齢は31歳です。このことから、長く女王に君臨していたことが分かります。

 このように邪馬台国は2人の有名な女王によって、その権威を他の倭の国々に見せつけていたのでした。

九州説と畿内説

 次に古代史上の謎の1つ、邪馬台国論争を覗いていきましょう。

 邪馬台国論争とは、邪馬台国が「九州」と「畿内(奈良)」のどちらにあったのかという議論です。

①「魏志」倭人伝の記述曖昧

 この論争を生んだ発端は、「魏志」倭人伝の記述が曖昧だったことから始まります。

 記述通りの方角と距離の場所は、なんと日本列島ではなく、南洋上の海に邪馬台国があるのですね。地面がない場所に国がある訳もありませんから、この記述は間違いです。

②方角一致or距離一致

 そして、ここから方角一致なら「九州」に、距離一致なら「畿内」にという2つの案が生まれたのでした。とどのつまり「弥生時代の邪馬台国は九州にあったのか…?、はたまた機内(奈良)にあったのか…?」、この事実は未だに謎なままとなっています。

③弥生時代に統一王朝の有無関連

 そしてこの事実の答えにより、日本史の弥生時代象を大きく変えてしまうというから驚きです。

 もしも仮に九州にあったのなら、現在の歴史のまま30カ国を支配する大国ということになります。しかしもしも畿内にあったのなら、もう弥生時代の時点で「畿内~九州」にかけて強大な統一王朝が成立していたことになります。

 次の古墳時代に「大和朝廷」が登場し、強大な統一王朝の時代が始まりますよね。そのスタートが「弥生時代後期だったのか、古墳時代だったのか?」、この事実の修正はまさに一大事件です。是非とも考古学での発見により、この事実が解き明かされることを祈っています。

最後に

 本日は「30カ国を支配する大国・邪馬台国」というお話、いかがでしたか?

 日本の最初の大国・邪馬台国では、女性の王が活躍していますよね。ではなぜ男性の王は、国を統治することができなかったのでしょう…?

 あくまで私の憶測ではありますが、力で周囲を動かそうとするよりも、愛情を持って周囲を動かそうとする方が合理的なのかもしれません。これらの事実も、是非とも考古学者の人たちに解き明かしてほしいなと感じますね。

 本日はご精読ありがとうございました。

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