好きな女性に恋人がいたら…

恋愛

 本日のテーマは「好きな女性に恋人がいたら…」というお話です。

 男性は女性に比べて、一目惚れが多い傾向にあると言われています。ですが一目惚れした相手に恋人がいるというのは、日常茶飯事な出来事ではないでしょうか…。人によっては「一目惚れ相手=彼氏持ち」でしかないという人も…。

 そんな悩めるメンズ達に、恋人がいる女性へのアプローチについてのお話です。少し非道徳的なアクションなのは否めませんが、上記のような人であれば、そうでもしなければ恋人ができませんよね。是非とも名前も見た目も知らないお相手への、申し訳なさの気持ちを抱きながら自己防衛としてアクションしてみてください。

 では好きな女性に恋人がいた場合のアクションとして、2部構成でお話を進めさせてください。

恋人の話を聞く

 まず1部目は「恋人の話を聞く」ことです。

①話題を避けるのは悪手

 多くの人は「彼氏がいる」という情報を聞くと、それだけで諦めてしまいがちです。諦めずアクションしようとしている人でも、その話題を避けながら、通常のアプローチと同じような段取りを組むことでしょう。しかし、ここに大きな誤りがあるのですね。

 この彼氏がいるという現実から目をそらして、話題を避けるのは悪手確定です。ですので開き直りの気持ちを持ち、誠心誠意を込めてお相手のお話を聞いてみてくださいね。

②話せる間柄にはいる

 また彼氏の話が出来る間柄にいるというのは、眼の前の女性と心理的距離が多少は縮まっている証拠です。

 あなたも想像してみてください…。心理的距離が遠い人に、自分の恋人の話を深くするでしょうか…?この話が聞き出せたという時点で、あなたは自分が恋人になれる階段を一段上っていると言っても過言ではないのですね。

③彼氏の話をしたという「言い訳」

 そして彼氏の話をしたという行為は、相手に「言い訳」という余白を作ります。

 彼氏の深いことを話していない状態で、相手のアプローチに乗っかってしまえば、世間的に見たとき恋にだらしない女性だと認識されがちです。そのような不名誉なモノの見方に、自分がさらされたいと感じる人はいないでしょう。

 ですが彼氏の話を隅々まで話していて、その相手がもしもアプローチしてきたのなら、また少し話は変わってきますよね。「恋人がいることを伝え、その細かいあらすじも伝えたのに、アプローチしてきた、これなら貞操観念の私でもそうせざるをえなかった。」と、言い訳を与えることができるのですね。

過去の恋人の話題

 次に2部目として「過去の恋人の話題」です。

 相手に恋人の話を聞いたら、次のSTEPとして過去の恋人の話題も聞き出しましょう。

①ボーイフレンドクラッシャー

 恋愛工学を提唱している藤沢数希さんは、このテクニックに名前をつけています。

 その名も「ボーイフレンドクラッシャー」です。

 ボーイフレンドクラッシャーは、元彼で今彼への気持ちを離れさせるテクニックのこと。なぜ気持ちを揺蕩わせることができるのかといえば、そこには2つの効果が隠れているからです。

②吊り橋効果

 ボーイフレンドクラッシャー1つ目の効果は「吊り橋効果」です。

 吊り橋効果とは、吊り橋による不安・緊張のドキドキにより、目の前の相手が好きだからドキドキしていると錯覚する心理現象のこと。

 この効果は何も吊り橋だけではなく、絶叫系アトラクションやお化け屋敷などの不安・緊張でも起こります。また本題となる、楽しかった元彼との思い出のイメージでドキドキする。そのドキドキ感を、目の前のあなたにドキドキしているような錯覚を起こす。そして元彼を想起する前以上に、あなたに性的魅力を感じるようになるという仕組みです。

③一時的なものイメージ

 ボーイフレンドクラッシャー2つ目の効果は「一時的なものイメージ」です。

 元彼との楽しい思い出のストーリーは、最終地点として別れという終着駅へと到着します。そうすることにより相手は、少し鬱屈した気持ちになることでしょう。そして恋愛はあくまで、一時的なものというイメージを脳裏に与える事ができるのですね。

 そうなれば今彼も例外ではないので、この関係も終わるのかとネガティブな気持ちが湧くでしょう。そして目の前のあなたが会話や優しさで相手を癒やしてあげられたのなら、ネガティブから脱却するために手を差し伸べた形になるのです。

 人間は、抽象より具体を理解しやすい生き物です。今彼といえど、目の前にはいない過去の思い出を想起しているだけ…。それに対してあなたは、目の前にいて今現在の事象です。これはいわば今彼が抽象、あなたが具体となる。そしてボーイフレンドクラッシャーの悲しみを、あなたが癒やしてあげられる前提条件になるのですね。

最後に

 本日は「好きな女性に恋人がいたら…」というお話、いかがでした?

 少し非道徳的な話だったかもしれませんが、他人の幸せのために自己犠牲をするのもまた別なのかなとも感じます。もちろん自己犠牲できる価値観の人は尊いなとは感じますが、私はそこまで強くなれません。

 この現象は、一般人とヴィーガンの人に類似しているかもしれませんね。動物の命を奪いたくないという気持ちから、野菜や豆類を食すヴィーガンの人たち…。しかし長期的には身体に不健康な結果を招くといいます。これは顔も名前も知らない相手の彼氏への罪悪感により、自分は1人のままという現象と似ていますよね。

 もちろんマイナスな行動であることに変わりありませんが、それすら自分を受容して、自分が関わる対人関係の人に変わりといってはなんですが恩恵というプレゼントを差し出してみる。これも1つの正義の形ではないでしょうか…?

 本日はご精読ありがとうございました。

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