思考の扉「意識」

客観力

 本日のテーマは「思考の扉・意識」というお話です。

 ビジネス書や自己啓発書を見開くと、多くの文献に「意識しよう」という言葉が飛び交います。これだけ囁かれるということは、古今東西に変わらない珠玉のアドバイスといっても過言ではないでしょう。

 ですがここで1つ疑問が浮かびます。実際には現実を変えるプロセスは、意識ではなく行動なはず…。逆に意識だけで行動しない人間は、意識高い系と揶揄されるくらいですよね。このような反論がありながら、なぜ意識は重要と説かれるのでしょうか…?

 本記事では、そんな意識のお話を持て余すことなくお伝えします。

意識とは

 ではまず、そもそも意識とは何でしょう…?

 抽象的な意味合いを持つ言葉なので、もしかすると個人によって理解の差が交錯するかもしれませんね。

①意味ある対象と認識

 結論から述べると、意識とは「意味ある対象と認識」することです。

 目の前の事柄について、心の底から意味があるのだと、注目すべき対象なのだと認識する。そうなれば人は、その事柄について無意識にでも思考・行動が出来るのではないでしょうか…?

 誰だって人間ですから、自分が利益を享受できる行動を選びたいはず…。そのために何をしようか思考するはずです。ですが多くの人が利益とは真逆の行動に誘われるのは、ある事柄について意味ある対象と認識できておらず、思考停止に陥っているから…。それ以上でもそれ以下でもないのですね。

②意識→認知→思考

 では意識から思考への流れを覗いていきましょう。

 順序としては「意識→認知→思考」です。

 まず目の前の事柄について、意味ある対象だと認識する。すると意識して初めて、その事柄を認知できるのです。多くの人が「見ればすぐに認知できるでしょう」と安易に考えがちですが、実際は目の前にあるのに気づけていないものばかり…。

③川の水とバケツ

 具体的には、電車に乗った際の広告ポスターのようなものです。

 多くのポスターは目に入りながら、認知できていないものばかり…。忘れてしまった云々ではなく、視界という川から、水のように情報が流れてしまっているのですね。

 つまり意識とは川の水をバケツで救う活動であり、認知とはそれによって得た水なのです。

④深い思考のスタート

 そして認知できて初めて、深い思考をスタートすることができますね。

 鵜呑みにする浅い思考は、川の水を眺めている事と同義です。つまり浅い思考は、認知できていないということ…。逆にその事柄に対して「もっと知りたい」と、深い思考を行うことがバケツの水を何に使おうか吟味することなのです。

 深い思考をすると、それに対して確信をもって行動ができる。これはバケツで救った水を使用して、生活のあらゆる営みに役立てる事とリンクします。

 このようにして「意識→認知→思考」の順序を辿るので、やはり先駆フェーズの意識はとても重要な事です。もちろん意識や思考だけで終わってしまっても、意識高い系になるので良くないのですが…。

新しい環境・行動・チャレンジ

 ですが意識を手にすることは、言葉で語るよりも難易度が高い営みです。なぜなら意味ある対象と認識するとは、気付きがあるか否かですよね。これは「分からないことが何か分からない」という状態です。ではどうすればある事柄に対して、意味ある対象だと認識できるのでしょう…?

 この答えはズバリ「新しい環境・行動・チャレンジ」に身をおいたり、励むことです。

①意味持つ場面の遭遇

 なぜなら「意味ある対象と認識」するために「意味持つ場面の遭遇」が必須だから…。

 つまり浅い思考の人が多いのは、深く考えて行動しなくてもある程度の恩恵が得られる、ぬるま湯の環境で生きているからでしょう。

 これは深い思考の人が、皆が安全に暮らせる世界を創造したことに尽きますね。人間はゾーオン・ポリティコンであり、共同体・政治的のみ生きることが可能な動物です。だからこそ本来なら、意味持つ場面に遭遇するはずのファクトを回避できている。

②搾取が当たり前という教育

 ですが恩恵ばかりかというと、搾取も多く跋扈します。

 なぜなら世界を創造した人達も人間なので、自分達の方に利益が入ってくる世界をつくることでしょう。ですが公正世界仮説という、皆が公平・平等だという先入観を誰もが持っている。

 そこで子供の頃から教育として、搾取されていることを当たり前と教えるのです。だからこそ搾取に対して皆がそうと諦め、与えられた恩恵を不安からの安全基地とし、全く行動しなくなる。そして意味ある場面に遭遇できないのですね。

 ここで1つ、不安を乗り越えてください。そして新しい環境・行動・チャレンジに身を投じましょう。コンフォートゾーンからラーニングゾーンに出れば、たくさんの意味ある場面に遭遇できるはずだから…。

③時間・失敗が必要不可欠

 もちろん新しい環境・行動・チャレンジに注力すれば、いきなり意識を取得できる訳ではありません。大前提として時間と失敗は必要不可欠であり、一朝一夕に叶うものではないのです。

 なぜなら新しいことを行い失敗した苦悩こそ、意味ある場面に遭遇するとイコールだから…。その痛みから、人は意味ある対象と初めて認識できるのですね。

 さらに1回の行動で、全ての失敗の原因を突き止めることも難しいでしょう。だからこそ何度も失敗し、トライアンドエラーの中で時間をかけながら、鈍く果てしなく意味ある対象と認識していく。1度の意味ある場面の遭遇だけでは、人間は意識・気付き・認識できるほど、賢くはないのです。

④縦縞空間で育てられた猫

 ここで「縦縞空間で育てられた猫」のお話をご紹介します。

 ある実験で生まれたばかりの子猫を、縦縞空間で育てたそうです。この子猫は、横線という事象に触れたことがありませんね。とどのつまり、横線が意味ある場面に遭遇したことがないのです。そんな子猫を四角いテーブルの上に乗せると、端にある横線が理解できません。結果として、テーブルから落下してしまうのだとか…。これは横線を意識も認知もできていないからです。
 実際にこの子猫と同じようなことが、多くの人間の行動にも当てはまります。だからこそ自分にとって何の得にもならない、他人の功績やスキャンダルに時間・労力を捧げ、スマホにかじりついている。

 皆さんは是非とも、子猫のようにテーブルから落下しないでください。そして意味ある場面の遭遇を果たし、意識という思考の扉を開き、行動まで落とし込んでくださいね。

最後に

 本日は「思考の扉・意識」というお話、いかがでしたか?

 余談ですが、意味ある場面に遭遇する手段として、2つの原動力があると思います。それは「絶望」と「好奇心」です。絶望を味わった人は、それが意味ある場面に遭遇することになる。また好奇心があれば絶望を経験せずに、意味ある場面に遭遇できるでしょう。

 どちらにせよ、意識習得は重要です。今が苦しい人はそれが意味ある場面の遭遇だと、解決方法の本を読む。今が幸福な人は、余裕があるからこそ好奇心の花を咲かせてください。

 本日はご精読ありがとうございました。

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