大和朝廷と氏姓制度

歴史

 本日のテーマは「大和朝廷と氏姓制度」というお話です。

 古墳時代に突入した日本では、文化・文明が加速度的に進捗します。その1つの具体的事象が、前記事でご紹介した「古墳」でしたね。ですがそれ以外にもまだまだ、新たなものは生み出されるのです。

 そこで本記事では「大和朝廷」や「氏姓制度」など、弥生時代には見られなかった巨大な組織や社会システムをご紹介していきたいと思います。

大和朝廷

 まず「大和朝廷」についてのお話です。

①畿内中心となる日本初の統一国家

 大和朝廷とは、畿内を中心とした日本初の統一国家のこと。

 畿内とは大和地域のことであり、現在の地名で言えば「奈良県」に当たります。

 弥生時代に卑弥呼・壱与の率いる邪馬台国は、九州中心の30カ国程を支配する国でしたね。これでも弥生時代の黎明期と比較すれば、大きな国家へと進捗はしています。なぜなら紀元前1世紀の「漢書・地理志」によれば「倭は100国の小国に分離して争いをしていた」と記述されているのですから…。

 ですが古墳時代となり、その邪馬台国の規模すら遥かに上回る、そんな統一国家へと昇華していったのです。

②4世紀に中部~九州・5世紀に東北南部~九州

 大和朝廷は時代が進むに連れ、支配地域を北東へと伸ばしていきます。

 4世紀になると「中部から九州」までの統一を果たし、5世紀になれば「東北南部から九州」まで支配したというから驚愕ですね。あと少し領土を広げれば、まさに現在の日本の領土そのままでしょう。

 古墳時代で有名な「大仙古墳」・「稲荷山古墳」・「江田船山古墳」も、5~6世紀に生まれました。まさに日本の歴史の真のスタートは、この古墳時代ではないのかとも思わされます。

③大和朝廷のヒエラルキー

 では次に、大和朝廷のヒエラルキーについてご紹介しましょう。

 大和朝廷は、大王を中心とした豪族たちによる連合政権です。

 とどのつまりトップ(長)は「大王」であり、現代天皇の先祖名称でもあります。そして大王に仕える「豪族」たちが次の段位に位置し、その中でも「有力豪族」「一般豪族」に分類される。さらに低い段位には「部民(べみん)」という一般人たちが、マジョリティを占めるのです。そして最下層には「奴婢(ぬひ)」という奴隷が位置しており、男の奴隷を奴(ぬ)、女の奴隷を婢(ひ)と呼び、総称して奴婢と言われています。

 そんなヒエラルキーを、最後に纏めて列挙すると「大王→有力豪族→豪族→部民→奴婢」という順に並びますね。

④部民の3職種

 一般人で大多数の層である部民は、3つの職種により、それぞれミクロの名称が付けられています。それは「部曲(かきべ)」・「名代・子代(なしろ・こしろ)」・「品部(しなべ)」です。

 部曲は、豪族に仕える私有民(農民)であり、豪族の土地である「田荘(たどころ)」を耕します。それに対して名代・子代は、大王の私有民です。朝廷での仕事を主としているのです。

 最後の品部ですが、彼らは職人さんです。行っている職人芸によりまた名称が分岐し、陶芸をつくっている品部は「陶部(すえべ)」、鍛冶屋をやっている品部は「韓鍛冶部(からかぬちべ)」と呼称されているのです。

⑤会社の比喩

 では理解を深めるために大和朝廷ヒエラルキーを、現代の会社に比喩してみましょう。

 まず大和朝廷の大王は、会社でいうところの社長さんであり、組織のトップです。次に有力豪族となる権力を持つ家系の人物たちは、会社の専務・常務といったあたりでしょうか…。さらに比喩を続け、部民は会社員(部曲)や公務員(名代・子代)、フリーランス・職人さん(品部)です。

 ここまでが大和朝廷という組織の概要でした。

氏姓制度

 では次に大和朝廷内で、組織維持のため採用されたシステムのご紹介です。

 その名も「氏姓制度」という仕組みです。

①大王が氏に対して姓を与える制度 

 氏姓制度とは、大王が氏に対して、姓を与える制度のこと。

 「氏…?姓…?何それ…?」と感じた方も、きっと多いことでしょう。この結論だけでは、どんな制度がさっぱり分かりかねますよね。ではこの項では氏や姓を深堀りして、どんな制度が覗いていきましょう。

②氏「豪族の集団総称」

 まず氏(うじ)は、豪族集団の家系を指しています。

 大王の下に有力豪族や一般豪族など、多くの家系の一族が仕えていましたよね。その1つ1つの家系を指すときに「氏」と呼んだのですね。つまりは現代の「家系」という語彙が「氏」というボキャブラリーであったとご認識ください。

 有名な氏(家系)としては、古墳時代の歴史に大きく関わる「蘇我氏」や「物部氏」などです。

③姓「豪族の地位示す称号」

 次に姓(かばね)は、豪族の地位を示す称号のこと。

 簡単に言うと豪族のランク付けのようなもので、有力豪族や一般豪族を隔てたり、その括りの中でも上下を表します。

 有名な姓としては「臣(おみ)・連(むらじ)・造(みやつこ)」などがあり、現代のランク付けの例でいえば「Sランク・Aランク・Bランク」のようなものですね。

④大臣・大連・伴造・国造
 臣の姓を与えられた豪族は「蘇我氏・葛城氏・平群氏」であり、この臣に属する豪族の中でも、最も有力な豪族に「大臣(おおおみ)」という姓(称号)が与えられました。ちなみに大臣は、蘇我氏がその地位を授かったと言います。

 そして連の姓も同じように、その地位に属する豪族のトップには「大連(おおむらじ)」という姓が与えられます。連の姓に属した豪族は「物部氏・大伴氏・中臣氏」で、その中で大連を授かったのは、蘇我氏との対立で有名な物部氏です。

 最後に造という臣や連より、低い地位の姓ですが、その中でも差異はあります。その分類は「伴造(とものみやつこ)」「国造(くにのみやつこ)」というもの。畿内(中央)にいた造の豪族は伴造と呼ばれ、地方にいた造の豪族は国造と呼ばれそうです。

最後に

 本日は「大和朝廷と氏姓制度」というお話、いかがでしたか?

 大きな組織を維持するには、それを統制する仕組みが必要不可欠です。そして氏姓制度が生まれ、それを支えに大和朝廷は発展をし続けたのですね。

 豪族の家系を「氏」と呼ぶ習わしは、現代にも残存しています。日本では、個人を文章で呼ぶ際に「〇〇さん」の代替として「〇〇氏」と呼ぶことってありませんか…?

 これは氏姓制度が源泉にある文化なのですね。本日のお話はここまで、次回記事でも古墳時代についてまだまだ深堀りしていきます。楽しみにして頂けると嬉しいです。

 本日はご精読ありがとうございました。

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