聖徳太子の政策・Part2

歴史

 本日のテーマは「聖徳太子の政策・Part2」というお話です。

 多くの人々を牽引したことで有名な聖徳太子(厩戸王)ですが、彼が残した政策を皆さんはご存知ですか…?偉業を達成したというファクトのみが独り歩きして、その中身の内容が置き去りになることは良くあることです。

 本記事ではそんな彼が起こした政策(偉業)を、4つに分けてご紹介していきましょう。前記事のお話では、4つのうち前半2つ「冠位十二階」と「遣隋使」についてでしたね。さぁ、いよいよラストスパート残り2つ「憲法十七条」と「法隆寺の創建」についてのお話に入っていきましょう。

憲法十七条

 まず聖徳太子の政策3つ目は「憲法十七条」です。

 憲法十七条とは、聖徳太子が制定した全17条からなる日本最初の成文法です。

①成文法

 成文法とは、法規範が制定された文章のこと。

 一定の手続きによって制定された文章なので、正式な文章として効力はとても強いものとなります。そんな法規範の項目が17つあり、大和朝廷で働く役人はこの心得を厳守していたのですね。

②国民☓→朝廷役人◯

 憲法という名を聞くと、誰しもが国民に対しての心得・ルールだと理解するでしょう。なぜなら現代の日本国憲法は、国民に対して向けられた心得・ルールだからです。同じ言葉が使用されているのですから、向けられた対象も同じ対象であると考えるのが自然ですよね。

 しかし飛鳥時代の憲法十七条は、国民ではなく朝廷で働く役人に向けられたものだったのです。現代のように国民を守ったり縛ったりする「最高法規」ではなく、朝廷役人のみを守ったり縛ったりする「朝廷内法規」だったということ。現在に置き換えれば、会社の「社内法規」といったところでしょうか。

 なぜなら当時の倭では、文字が読める人はマイノリティです。ほとんどの国民は文字が読めませんから、憲法を提示されたところでただの暗号や模様でしかありません。私達が楔形文字を見るような感覚と、全く大差がなかったのですね。

③和の精神

 では17条ある憲法の中から3つを厳選しましょう。

 まず憲法十七条・1つ目は「和の精神」です。

 飛鳥黎明期では、豪族同士の争いが絶えなかったと言われてます。全記事でもお話した「冠位十二階」により、競争を良しする思想が流布したことも1トリガーでしょう。

 競争には良い側面も大いにありますが、あまりにも争いが絶えなければ国として纏まることが出来ませんね。そこで憲法内で和の精神を説き、競争しながらも団結していこうと、今でいうスポーツマンシップのようなものを唱えたのです。

④三宝を敬う

 次に憲法十七条・2つ目は「三宝を敬う」という教えです。

 三宝(さんぽう)とは「仏・法・僧」の総称のこと。つまり仏様を仏教の内容をそれを説く僧侶を、総称して仏教全体を敬って大切にしろという教えなのですね。

 蘇我馬子が崇仏論争に勝利したことにより、神道から仏教へのパラダイムシフトは駆動しました。しかし崇仏論争の時期は古墳終焉期であり、憲法十七条が発足した飛鳥黎明期とあまり月日の差がありません。つまりはまだ神道の思想も根深く残っており、それら神道を根絶しようとこの教えが生まれたのですね。

⑤天皇中心主義

 憲法十七条・3つ目は「天皇中心主義」です。

 長く継続する組織というのは、トップが絶対的に揺るがない権威を確保しています。リーダーの権威が薄らいだ団体は、遅かれ早かれ今の形の組織ではいられなくなってしまうもの…。このファクトを、聖徳太子は客観視していたのですね。

 だからこそ君主を天皇とし「その教え・命令には絶対に従え」と、この時代の常識を説いたのです。正確には当時は「大王」であり「天皇」と呼称されるのは、もう少し後のお話となるのですが…。

 ちなみに天皇・大王からの命令のことを「詔(みことのり)」といい、この命令を蔑ろにすること反発することは、いかなる場合も許されなかったと言われます。

法隆寺の創建

 最後に聖徳太子の政策4つ目は「法隆寺の創建」です。

 法隆寺は日本の寺院の中でも、知名度が高い寺院の代表例です。地域にもよると思いますが、小中学校の修学旅行で足を運んだ人もきっと多いことでしょう。この法隆寺こそ、聖徳太子が創建した寺院なのです。

①世界最古の木造建築物

 法隆寺は、世界最古の木造建築物として有名です。

 世界最古ですから、日本最古を超越したスケールを感じますね。創建された時期は607年であり遣隋使の派遣年とリンクし、その古さから1993年に世界遺産にも登録されました。

 ではここから法隆寺で有名なポイントを、3つほどご紹介していきましょう。

②エンタシスの柱

 まず法隆寺・1つ目のポイントは「エンタシスの柱」です。

 エンタシスとは、古代建築の柱の作り方の名称です。

 そして法隆寺の本堂「金堂(こんどう)」には、このエンタシスの柱が使用されていたといいます。また他にもエンタシスが使用された建造物は存在し、古代ギリシアのパルテノン神殿(紀元前5世紀)が該当します。

 余談ですがこのパルテノン神殿を含んだ、アテナイ(当時の国)のアクロポリス(高いところにある都市)は、法隆寺と同じく世界遺産にも選ばれています。とどのつまりエンタシス関連の建造物は、世界遺産該当率100%ということですね。

 具体的なエンタシスの柱の特徴として、中程に膨らみを持たせた柱だといいます。なぜ膨らみを持たせたのかというと、柱がいくつも並ぶと中央が凹んで見えるという、目の錯覚を引き起こすらしいのです。その人間の視覚の歪みを解消ようと、エンタシスの柱は生まれたのですね。

 ただ同じエンタシスの柱でも、パルテノン神殿の柱は少し作り方が違います。具体的には、下が太く上に行くほどに細くなる柱の作りでした。これも法隆寺のエンタシスと同じく、中央が凹んで見えるいるという視覚の錯覚の解消しようとしたものです。

 またまた余談ではあるのですが、どちらのエンタシスの柱も力学的にも優れているそうです。

③五重塔の低減率50%

 次に法隆寺・2つ目のポイントは「五重塔の低減率50%」です。

 低減率とは、五重塔の5つの屋根が上の屋根になる程に、横幅が狭くなる割合のこと。

 法隆寺よりも後世に創建された数々の五重塔は「低減率が100%」が、オーソドックスとなりました。つまり下の屋根と上の屋根が同じ幅であり、引いてみると寸胴な塔に見えるのです。

 ですが法隆寺は「低減率50%」ということで、5段目の屋根の半分の幅しか1段目の屋根の幅はありません。このことから引いて見ることにより、スタイリッシュでかっこよい塔を実現させたのです。

④玉虫厨子

 最後に法隆寺・3つ目のポイントは「玉虫厨子」です。

 玉虫厨子とは、タマムシの羽が装飾された厨子のこと。

 ちなみに厨子とは、屋根付きの重要なものを安置する入れ物です。まぁとどのつまり仏壇のようなものですね。仏壇も屋根付きの仏を安置する入れ物ですから…。

 この玉虫厨子は推古天皇の所有物で、彼女の大切なものを収納していたそうです。そんな厨子にタマムシの緑色の光沢を帯びた羽が、派手に装飾されていたということ。現在に例えるとネックレスや指輪の装飾品のようなもので、やはりいつの時代も女性は輝かしいものが好きなのでしょう。

 この玉虫厨子は、法隆寺の敷地内にある「大宝蔵院(たいほうぞういん)」に展示されています。

最後に

 本日は「聖徳太子の政策・Part2」というお話、いかがでしたか?

 2記事に渡って聖徳太子の偉業を覗いてきましたが、やはり歴史に名を残すだけあるなと感服します。これだけの偉業を生む秘訣を私なりに考えてみたのですが、やはり行動力がキーがあるのではないでしょうか…。

 なぜなら人生は思っているほどに短いもので、だからこそ思考してやりたいと思っているだけでは、あっという間に時間も体力も失ってしまう。皆さんも今が一番若い時期ですから、思考だけに留まらずに行動という一歩を踏み出してみましょう。

 本日はご精読ありがとうございました。

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