乙巳の変「中央集権化のためのクーデター」

歴史

 本日のテーマは「乙巳の変・中央集権化のためのクーデター」というお話です。

 前記事のお話で、乙巳の変により討滅させられる蘇我氏の横暴さをご紹介しました。もちろん暴君としての立ち振舞もクーデターされた1つのファクターではあるのですが、乙巳の変はそれだけが原因で起こったのではありません。

 本記事ではもう1つのファクターとなる政治的要因「中央集権化という目標」のお話と、実際の「クーデター内容」について見ていきましょう。

中央集権化という目標

 まず「中央集権化という目標」のお話から入ります。

①中央集権  

 中央集権とは、多くの権力を中央に集中させて、中央官庁が政治を執行することです。

 対義語には地方分権という言葉がありますが、こちらは行政上の権限をそれぞれの地方機関に任せています。この飛鳥時代に目標として掲げられた指針は、この地方分権とは真逆の中央集権です。つまりは地方に任せることはせず、全てを中央が掌握したかったということですね。

②中大兄皇子・中臣鎌足

 では、そんな中央集権化を推し量ろうとした人物とは一体誰なのでしょう…?

 それが「中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)」「中臣鎌足(なかとみのかまたり)」です。

 中大兄皇子は、後の天智天皇となる人物で、蘇我入鹿を暗殺した張本人でもあります。また中臣鎌足は、奈良・平安時代に渡って日本史上最大氏族となる藤原氏の始祖です。本人も後に「藤原鎌足」と呼ばれることになるのですね。

③唐王朝の律令制

 中央集権化へのきっかけは、中国・唐王朝の律令制でした。

 630年・遣唐使からの情報により、中国という国の統治システムを知ったのです。その律令制という法律の基盤が、中央集権化だったということですね。この情報に目を光らせたのが中臣鎌足で、彼が大化の改新を企てた発起人だといわれます。

④権力もつ蘇我氏は邪魔な存在

 しかし中央権力を強固なものにするために、権力をもつ蘇我氏は邪魔な存在でしかありません。君主以外の者が権力を持ち強すぎるということは、中央集権化を推し量るのに不都合なファクトだったのです。

 そこで前記事でご紹介した蘇我氏の横暴さのファクターも絡み、そうなのであれば「蘇我氏を滅ぼしてしまおう…」と謀略を練ったのですね。そして中臣鎌足は中大兄皇子を仲間に引き連れ、さらには蘇我氏の豪族・蘇我石川麻呂も味方につけました。そして乙巳の変を遂行していくことになるのです。

クーデター内容

 では乙巳の変のメイン「クーデター内容」を覗いていきましょう。

①偽りの大王貢物儀式での暗殺

 まず「蘇我入鹿の暗殺」のお話から入ります。

 中大兄皇子・中臣鎌足は「大王への貢物儀式だ…」と蘇我入鹿に呼びかけ、彼を儀式に出席させます。もちろんこの貢物儀式はフェイクで、その場で蘇我入鹿を暗殺することが目的です。計画としては蘇我石川麻呂が上表文(君主に奉る文章)を朗読中に、油断をした入鹿を抹殺するという作戦でした。

 しかし石川麻呂は緊張で声が震えてしまい、入鹿に不審がられたそうです。そうなれば作戦は失敗してしまう…。そんな窮地に、臨機応変に行動を起こしたのが中大兄皇子です。彼は計画より早めに、入鹿に対し斬り込んで暗殺を成功させたのです。不審がる入鹿のノンバーバルを見逃さず、一瞬で動けたのはさすがの一言につきますね。

②屋敷包囲による焼身自殺

 またもう1人の蘇我氏「蘇我蝦夷の焼身自殺」は翌日に起こります。

 入鹿暗殺の翌日に次は蝦夷を暗殺するため、蘇我氏の屋敷を中大兄皇子や中臣鎌足の軍隊が包囲します。この状況は蝦夷にとって四面楚歌の状態であり、絶望に打ちひしがれたことでしょう。そして入鹿は敵軍に暗殺されるよりも、自らの手で火を屋敷に放ち自害へと踏み切ったのですね。

 暗殺は上手くいかなかったとはいえ、蘇我氏の滅亡が果たせられたのなら、2人にとっては万々歳です。これにて乙巳の変は完結したのでした。

③語呂合わせ・蘇我氏蒸し殺し

 ちなみ余談となるのですが、乙巳の変の年号を覚えやすくするための語呂合わせを最後にご紹介しましょう。

 それは「蘇我氏蒸し殺し」です。乙巳の変は西暦645年のファクトなので、蒸し殺し(むしご・645)と関連づけるという訳です

 ただ数字のみで覚えることは意味記憶なので忘却しやすいですが、蒸し殺しという物語をセットにすることでエピソード記憶となります。この2つの記憶方法では、脳内への残り方に雲泥の差を生み出します。是非ともこのフレーズも一緒に覚えてみてくださいね。

最後に

 本日は「乙巳の変・中央集権化のためのクーデター」というお話、いかがでしたか?

 この一連のお話から学べる内容として、常識は書き換えられるというファクトを知ることができるのではないでしょうか…。アインシュタインは「常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションである」という言葉を残していますが、コモンセンスとなる共通物語は必ず書き換えられます。

 この乙巳の変により中央集権化という時代変化のうねりを知れば、古い考えにいつまでも執着することを手放せるのではないでしょうか。価値観を刷新させていく力こそ、自己成長へのとても重要な要素です。是非とも俯瞰する力、変革する力を研磨していきましょう。

 本日はご精読ありがとうございました。

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