大化の改新②「改新の詔」

歴史

 本日のテーマは「大化の改新②改新の詔」というお話です。

 改新の詔とは、律令制の樹立を目指した基本方針の表明のことです。中国では中央集権化(中央に権力が集中する政治体制)の社会を維持するために、律令制と呼ばれる法律が制定されました。倭も同じように中央集権化を目指すのですから、法律も一緒に模倣したということですね。

 ただあくまで表明であり、改新の詔により制定した訳ではありません。実際に律令制が制定されるのは701年の「大宝律令」であり「改新の詔」は646年ですので、55年先の未来となります。とはいっても表明という準備フェーズがあったからこそ、制定という本番フェーズがあるのも事実ですよね。だからこそ、しっかりと準備の姿勢を学んでいきましょう。

 ではメインのお話となる改新の詔の内容ですが、ここでは2枠に分けてご紹介していきます。

領土支配関連

 改新の詔・1枠目は「領土支配関連」のお話です。

 中央集権を可能にするためには、日本全土の地方に対しても領土支配を強固なものにする必要性が生じます。そのために領土支配の法律が、いくつか立案されたのですね。ここでは2つの法律案をご紹介していきましょう。

①公地公民

 改新の詔・1つ目の法律案は「公地公民(こうちこうみん)」です。

 公地公民とは、土地も国民もすべてを大王・国家が直接支配をするという法律です。

 この制度では全ての土地や国民がおおやけ(国家)の所有物となり、個人が私有地を持つことを一切認めない制度だったのですね。そのことから国家に対抗する独立心が強い人間は、中央集権への足枷に他ならなかったのです。

②蘇我氏討滅の理由

 上記のファクトを知ると、乙巳の変を起こした彼らの気持ちも共感できるのではないでしょうか。

 それまでの倭では有力豪族は私有地を持ち、さらに私有民(部曲)などを雇って私有地で働かせていました。しかし土地も国民もすべてが国家のものですから、これらの制度は廃止されてしまったのです。この事象を覗けば、有力豪族・蘇我氏を滅亡に追いやった理由も納得がいきますよね。

③国郡里制

 改新の詔・2つ目の法律案は「国郡里制(こくぐんりせい)」です。

 国郡里制とは、全国を「国・郡・里」の三段階の行政区画に編成する制度です。

 現代風にいえば「都道府県」や「市町村」のようなもので、何段階かに分かれて行政区画が施されるのは全く同義ですね。これが古代風にいえば「国郡里制」だったということです。

④国司・郡司・里長

 朝廷は地方を60あまりの国へと分離し、その国に都の役人を送りました。彼ら役人は「国司(こくし)」の地位を与えられ、朝廷は国司を介して全国を統治していったのです。ですが国司だけでは60あまりの国の隅々まで、支配することはできませんよね。ですので国をさらに郡として区分していきます。

 その郡(地域)のトップは有力豪族に任せ、彼らに「郡司(ぐんじ)」の称号を与えて土地を統治させたのです。ですが国司の監視下にあるので、有力豪族は以前のように好き勝手ができる訳ではありません。

 そして郡を更に20~30世帯ほどの集落に分けて里と定義し、その中で有力なものを「里長(りちょう)」として長を任せたのでした。

財源関連

 次に改新の詔・2枠目は「財源関連」のお話です。

 中央集権により日本全土を支配するために、必ず必要となってくるものがありますよね。皆さん、何だと思いますか…。そう、答えは財源です。そのために国民たちから税を徴収することが必須となり、そのための制度もいくつかアイデアとして生まれたのです。

 ここでも2つの法律案をご紹介していきますね。

①班田収授法

 改新の詔・3つ目の法律案は「班田収授法(はんでんしゅうじゅのほう)」です。

 班田収授法とは、国民1人1人に田んぼを与え、その面積に応じて税(米)を課すこと。

 この制度を実行するために「戸籍」が作られたといいます。この班田収授法のファクトが始祖となり、現在の戸籍に繋がったと感じると感慨深いものがありますね。

②口分田

 そして制度内容の前に、口分田という田んぼをご紹介しなければいけません。

 口分田とは、年齢が6歳以上の男女に与えられる田んぼのことです。

 「えっ?田んぼを与えてくれるの。嬉しい」と感じた方もいるかもしれません。しかし残念ながら、この口分田はいらない田んぼなのです。男性は2段(240歩)の面積が、女性はその3分の2の面積が口分田として与えられたといいます。そして彼らは口分田で耕作をさせられ、与えられた面積に応じて収益を税として朝廷に納めたのですね。

 6歳から税が課される世界は、現代の常識に当てはめるとクレイジーさを帯びていますね。ここからも私達が考える当たり前は当たり前じゃないというファクトを、学ぶ一助になるのではないでしょうか。

③租庸調制

 改新の詔・4つ目の法律案は「租庸調制(そようちょうせい)」です。

 租庸調制とは、祖・庸・調という3つの税を課す制度のこと。

 「班田収授法でも税が課されたのに、またもや税を課すの…」と感じた、心の優しい方もきっといたことでしょう。実際に当時の国民たちは、血反吐を吐く思いで毎日を耐え忍んでいたといわれます。では一体、租庸調制とはどんな税なのでしょう…?

④さらにまた米

 まず祖という税は、米を納めることです。

 班田収授法の米の税だけでも苦しいのに、追い打ちをかけるように米の税を課し足したということですね。人間の醜さが、如実に体現されたファクトかもしれません。

⑤年20日間の労働or庸布

 次に庸という税は、年20日間を都で労働する義務です。

 具体的な労働内容としては「土木工事」や「宮殿建設」など様々です。また都までの交通費やその期間の食費など、現在なら雇い主が労働者に経費として支払いますよね…?しかし、この時代はすべてが国民(労働者)の実費だったのです。まさに鬼のような施策ですね。

 ただ「都から遠い地域の人々は、少し鬼畜要素が強すぎるのでは…?」と疑問が浮かびます。この代替案として、彼らは労働の代わりに布を税として納め、労働義務を免除されたそうです。この布を「庸布(ようふ)」と呼びます。

⑥特産物の納入

 最後に調という税ですが、特産物を税として納めていました。

 特産物ですので地域により差異があり、都へは彩りあるものが納められ、朝廷の資源は潤沢を満ちたことでしょう。ちなみに東京都調布市という市町村がありますよね…?この市町村は飛鳥時代の租庸調制で、調の特産物の税として布を納めていました。だからこそ調布市という名が、現代にも引き継がれているのですね。

最後に

 本日は「大化の改新②改新の詔」というお話、いかがでしたか?

 これらの政策が実施されるのはもう少し後のお話となるのですが、ここから学べることは人間の脅威ではないでしょうか。強い者や上の者がルールであり正義となりますが、明らかに弱者たちは彼らの養分とされています。これが自然現象としての、人間の性なのかもしれません。

 そして現代では古代ほど搾取される構図ではないですが、しっかりと血肉にするレールは敷かれています。だからこそ学びましょう、考えましょう。そして目の前の快楽により操られず、長期的に自分はどうなるのか、どうしたいのかを吟味することが大事だと私は思います。

 本日はご精読ありがとうございました。

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