日本初の律令制「大宝律令」

歴史

 本日のテーマは「日本初の律令制・大宝律令」というお話です。

 唐王朝の中央集権化を模倣しようとした倭は、そのための基盤である法律「律令制」も同じく模倣を目指します。そして遂に飛鳥時代・終焉期となる701年に、日本初の律令制「大宝律令」が制定したのです。

 本記事では、そんな「律令制までの流れ」と「現在法律の名称」の2枠で、大宝律令を深堀りしていきたいなと思います。

律令制までの流れ

 ではまず「律令制までの流れ」のお話です。

 「律令制を倭でも制定したい…」と思い立っても、すぐに実行できる訳ではありませんよね。そこまでのプロセスには、長い月日と度重なる努力の数が必要です。

①大化の改新

 まずそのスタート地点は「大化の改新」でした。

 大化の改新とは、645~646年に中大兄皇子と中臣鎌足が起こした一連の政治改革のことです。この政治改革をミクロに分けていくと「乙巳の変」・「政策執行」・「改新の詔」となります。

 まず中央集権化を進めるために、邪魔となる有力豪族・蘇我氏を乙巳の変で滅ぼしました。さらに政策執行の内容としては、中国との貿易をスムーズにするため「大阪難波宮」に遷都をしたり、中国のような元号を定めようと日本初の元号「大化」を制定しましたね。ちなみに大化の改新の「大化」は、元号の「大化」から名付けられています。

 さらに改新の詔で、律令制樹立のための基本方針を4つ表明しました。いわば律令制の下書きといったところでしょうか…。それが「公地公民」・「班田収授法」・「租庸調制」・「国郡里制」です。改新の詔の時期はあくまで表明でしたが、大宝律令の制定で晴れてこれらの執行が決まったのですね。

②近江令&飛鳥浄御原令

 次に「近江令&飛鳥浄御原令」の制定もありましたね。

 いきなり律令制を制定するのではなく、まず律制度は後回しにして令制度だけ先に着手したのです。ここには大きな目標を分割して1つずつ解決していくという、宇宙の摂理が学べます。皆さんも是非とも、実生活にも反映させてみてくださいね。

 近江令は天智天皇が668年に施行した日本初の令制度であり、飛鳥浄御原令は天武天皇が681年に編纂し、持統天皇が689に施行した令制度です。令制度制定の流れでさえ、大化の改新から20~40年が経過している。法律を新たに施行することは、一筋縄ではいかないことが強く伝わりますね。

③大宝律令

 そして遂に「大宝律令」が施行する時がやってきました。

 施行した西暦は701年であり、大化の改新からなんと55年の歳月が経ちました。また日本初の令制度から見ても、33年と非常に長い年月をかけています。

 そして大宝律令を施行した人物は「文武天皇」で、持統天皇の孫にあたります。施行にあたっては、祖先の天智天皇・天武天皇・持統天皇は絡んでいないのです。しかし彼らの想いを引き継ぎ、文武天皇をは大宝律令の施行を成し遂げたのですね。

 このように子孫に受け継がれていく形状は、まさに有限性の命である人の今生きる意味なのかもしれません。そのプロセス時に天智天皇と天武天皇という隔たりがあったとしても、1番重要な意思だけは受け継がれている。これは心温まるエピソードではないでしょうか。

④「国号を日本国」へ変更

 また余談ではあるのですが「国号を日本国」へ変更することが、ここで決まりました。

 それまでの日本は「倭」と呼称されており、この大宝律令から現在まで続く「日本」という名称になったのですね。この名称の由来ですが「日が本(もと)から昇る場所」という意味が込められていて、この時期に巨大な中国に対して向けられた言葉でもあります。私達が原点だと、牽制の意も込められていたのかもしれませんね。

現在法律の名称

 では次に「現在法律の名称」についてのお話です。

 律令制と言われても、今の時代を生きる我々には具体的にどのような政策なのかがピンときませんよね。そこで現在の法律と照らし合わせることによって、律令制の中身を深く知ることができるのではないでしょうか。

①律は「刑法」

 まず律ですが、現在の「刑法」を示しています。

 刑法とは、罪と罰を定義した法律のことです。

 とどのつまり犯罪の具体的事象を定め、その事象によってどのような刑罰が与えられるかを示した法律と言えるでしょう。この刑法がなければ、何が罪かも曖昧になってしまいますし、どう裁いてよいのかも分かりませんよね。

 そんな刑法のポジションに当たる「律」は、飛鳥時代の大宝律令から生まれた制度です。ついに当時の日本も、現在の国家らしくなってきたと言えるでしょう。

②令は「民法・行政法」

 また令は「民法・行政法」を示しています。

 民法は、市民や事業者の日常的なルールとなる法律のことです。

 具体的には「商取引・金融取引・相続・離婚」など…。これらの民法により、もしもトラブルが起きた際にスムーズに判決が下されるのです。

 また行政法は、国・公共団体の行政活動のルールを示した法律です。

 政治を執行していくためにも、そのためのルールは必要不可欠です。これは刑法よりも優先される事柄かもしれません。なぜなら政治執行のルールがなければ、まず国を統治すること自体が上手く進まないからですね。そのことから近江令制定の際に、律制度を後回しにしてでも先に令制度を施行したのかもしれません。

最後に

 本日は「日本初の律令制・大宝律令」、いかがでしたか?

 現代日本のシステムに近づいてくるお話を聞くと、今と過去が繋がっている感覚を強く感じます。そして現代の恵まれた環境があるのも、まだ秩序が不安定だった過去の人々が整備を行ってくれた賜物だと気づけます。このような視点を持てると、当たり前の現状に感謝の気持ちが湧いてきて、日々の幸福度も向上するのではないでしょうか。

 本日はご精読ありがとうございました。

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